下町生まれの芳雄さんは工業高校を卒業後、銀座の農機具メーカーに勤める。入社式には真っ赤なネクタイで行った。その姿を想像するだけで恥ずかしいと勝りんは苦笑する。「あの原田芳雄が赤いネクタイだよ!」。会社の懇親会や社員旅行には嬉々として参加していた。「そういうの、好きなんだよなぁ、芳雄は」
俳優座養成所同期には栗原小巻、林隆三、地井武男、太地喜和子、小野武彦、村井國夫。花の15期生と呼ばれ、「入所の時の集合写真は満面の笑み。でも途中で学費が払えなくなって花屋でアルバイトも。そのせいか花が好きで、よく花の絵も描いていたな」
娘で女優の麻由さんが高校時代、文化祭の演劇には声の出演を買ってでたほどの子煩悩。子どもたちにも後輩たちにもとことん優しかった。
芳雄さんはブルースシンガーでもあった。興に乗ってバーボンをステージで飲むと、それに合わせるかのように松田優作さんが客席の奥でバーボンをラッパ飲みしていたと勝りんは懐かしむ。
1993年秋、僕の勤務するラジオ局で5日連続公演をこなした。ライブタイトルは「東京ラフ・ファイト!」。その芳雄さんの歌声は青山葬儀所でも流された。
「原田芳雄と同時代に生きることができて嬉しかった」。かけがえのない思い出を語り、勝りんがしみじみ呟いた。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
※週刊朝日 2021年9月10日号