政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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菅義偉首相が自民党総裁選に不出馬の意向を表明しました。事実上、総理大臣の辞任を表明したことになります。
当初の70%近くあった支持率は30%も割り込む低迷ぶりで、トップリーダーが露出すればするほど支持率は下がる一方でした。そのためか国権の最高機関である国会は開かず、記者会見もまるで独演会のような対応ぶり。質問にはろくに答えず、血の通った肉声は聞けないまま、無機的な言葉が繰り返されるだけでした。
挙げ句の果てに、自宅療養という名の「医療放棄」に喘(あえ)ぐ人々が10万人を超え、塗炭の苦しみをなめているのに、「明かりがはっきり見えてきた」と超楽観論を披瀝(ひれき)する。まるで異次元の世界にいるのかと唖然(あぜん)とせざるを得ません。「オリンピックを成し遂げた」「ワクチン接種も軌道に乗っている」と見たいものだけを拡大して見ていたのかもしれません。
振り返ってみれば、菅政権は「安倍氏なき安倍危機管理内閣」であったと言えます。この政権は、安倍政権の最大のレガシーである五輪開催を実現すべく、それこそ、国民に多大のコロナ禍が降りかかろうとも、強行突破することしか念頭になかったはずです。
コロナ禍が予想以上に猖獗(しょうけつ)を極めるようになったのは誤算だったかもしれません。ですが、五輪開催に賛成の3割の国民の支持があれば、総選挙も乗り切れると、当初はたかをくくっていたのでしょう。
しかし、横浜市長選の大敗、党の重鎮の一人である中谷元・元防衛相が「人事で釣る」ことへの批判、好評だった岸田文雄氏の総裁選出馬会見、おひざ元の自民党神奈川県連幹事長による「首相の応援はしない」との発言……。ここにきて菅首相は一気に追い込まれていきました。
現在の自民党は、国民の多くを包摂する「キャッチ・オール・パーティー」であることをやめ、有権者の3分の1だけをターゲットにする「排除型」の政党に変質しています。果たして、菅氏の総裁選不出馬を機に、党の派閥力学もガラリと変わるのでしょうか。
今、自民党が再び包括政党に戻れるのかどうかという岐路に立っています。
姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2021年9月13日号