両親や夫の助けを借りながら、片道2時間かけて大学に通った。帰宅してからは家事や子どもとの時間を確保するのが精いっぱいで、勉強できるのは通学時間のみ。それでも必死のかいあって、成績は優秀。医学部を総代で卒業した。「全身を診られる医師になりたい」と老年内科を専門にすることを決めた。
「おじいちゃん、ごめんね」と詫びた私に伝えたいこと
二つめの転機は、40代後半に訪れた。子どもが高校生になったこと、高齢者医療の専門病院で働き始めたことで、自由になる時間が少しだけできた。そこで、カルチャーセンターなどに通って小説を習い始めたのだ。
「最初はSFやファンタジーを書いたんですがイマイチで(笑)。先生に身近な話を書くように言われて、唯一の持ちネタの高齢者医療をテーマに書いたら、ほめられました」
新人賞の最終候補に残ったのを機に編集者を紹介してもらい、デビュー作『サイレント・ブレス』を出版。「現役医師だからこそ書ける作品」と絶賛される。著作を書き進めるなかで、南さんはどうしても書きたいテーマがあることに気づいた。
「私が働く病院の患者さんは、平均年齢89歳。終(つい)のすみかとして入院します。ここでおこなわれる医療は治すための医療ではなく、最期の日まで苦しまず、痛みなく、尊厳を持って、その人らしく生きるための医療、人生を充実させる医療です。スタッフは患者さんを尊敬し、患者さんは笑顔になる。その笑顔を見て家族が安心する、そんな終末期医療があることを、小説を通して伝えたかった」
誰に伝えたかったのですか、と問うと「つきつめれば18歳の私に、です」と南医師は言う。18歳で上京し、祖父母の家に下宿していた。祖父は脳梗塞で寝たきり、介護は祖母が1人で担っていた。
「祖父は24時間いつでも祖母を呼ぶので、祖母は体力の限界。イライラして祖父をどなることもありました。私も手伝いましたが、十分な介護はとてもできませんでした」
2年後、祖父は他界した。南さんは「おじいちゃんごめんね」と祖父に詫び続けた。
「じゃあどうすればよかったのか、ずっと考え続けていましたが、今の勤務先に来て答えがわかったんです。あたたかな終末期医療を受ければ、本人も家族も残された大切な時間をいとおしむことができるのだ、と」
そんな南医師の思いがこめられた小説、それが『いのちの停車場』だ。
「人はみな必ず亡くなります。死は悪いことでも、忌み嫌うことでもなく、人生のゴール。だからこそ本人も家族も『やりきった』と思えるような終末期医療が必要なのです」
さまざまな人生経験を重ねて医師になったからこそ、書けた作品でもある。
「読者の方も、医学以外にやりたいことがあるなら、それをやってみてから医師になるのも遅くないかも。医師以外の経験は、現在の医療が取りこぼしている何かを見つける大切な目になるかもしれません」
南 杏子 みなみ・きょうこ
1961年徳島県生まれ。日本女子大学卒。出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入し、卒業後、慶應大学病院老年内科などを経て、都内の高齢者病院に勤務する。2016年、終末期医療を題材にした『サイレント・ブレス』(幻冬舎)で小説家デビュー。
(神 素子)
※週刊朝日MOOK「医学部に入る2022」より抜粋