しかし、今はSNSを利用して直接文句が発信できる。「あの番組を潰すために、竹山食品の商品を買うのを止めない?」となっても、昔はそれを「どうやって広く知ってもらうの?」で終わっていた。今は簡単に不買運動の仲間だって揃ってしまう、ややこしい時代になりましたよね。

 そうなると、まずそういうことを起こして欲しくないという力が働くのと、社会の仕組みというか、会社には各々の部署があるから編成さん、営業さん、スポンサーさん……みんながみんな、ややこしいことにはなりたくないし、責任は取りたくない。出演しているタレントも余計なことを言うと、次、出られなくなるかもしれない。そんな連鎖の反応がコンプラって言葉に置き変わってきているのではないかと思う。

 もし仮に、僕が超大金持ちで個人で電波の権利を国からもらって、「竹山テレビ局なんだ、俺が金出しているんだ!」ということなら好き勝手にできる。そんなにお金がある人もいるわけないので、それは現実的な話ではない。でも、10年以上前に、堀江貴文さんがテレビ局を買おうとしたじゃないですか。もしあの時に、まかり間違って買っていたら、テレビが変わっていた可能性はありますよね。また、逆にダメになっていた可能性もある。ホリエモンは「これからメディアが変わっていくよ」ということで購入に動いていたわけで、あの頃から、テレビで好き勝手ができない時代が始まっていたんでしょうね。

 そんな中、テレビって何にもできなくなっているのかというと、人間は知恵を持っているから、素敵な番組が世の中には出てきている。この間、たまたま観た番組で、元SMAPの新しい地図の3人が出演する「ワルイコあつまれ」(Eテレ)が、まぁ~これがいい番組なんですよ!  Eテレらしさもあるし、毒もある。コンプライアンスというものを逆に突いた感じもある。

 例えば、稲垣吾郎さんが保父さんに扮して幼稚園みたいなセットの本棚から絵本を取り出し読み聞かせをするんですが、その絵本が「勝新太郎」。「日本には浦島太郎、桃太郎、金太郎3大太郎がいて……」というナレーションが入り、芸能界には勝新太郎がいるって、読み聞かせするように過去のエピソードを紹介していく。後輩から怯えた顔ができないと相談された勝新太郎は、後輩を車の助手席に乗せ、めちゃくちゃな運転をして電柱に激突させて「その顔をするんだよ」と言った実話を絵本で読み聞かせてくれる。

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これがテレビ番組の本来の作り方なのでは?