——「夜のヒットスタジオ」や「大橋巨泉」「YMO」など、作中には70~80年代のカルチャーを彩った固有名詞がいたるところにちりばめられている。94年生まれの中山にとって、それらは縁遠いものかと思いきや、意外な答えが返ってきた。

 中学生ぐらいの頃、周りの友だちはみんなORANGE RANGEとかを聴いていたけど、僕はさだまさしさんや小田和正さんが好きでした。特に大好きだったのは、さださんの「償い」という曲。今も大事な一曲です。暗いんですけどね(笑)。

 あと、実家が“オールディーズ”っていう名前の喫茶店をやっていて、店内にずっと50~60年代の洋楽がかかっていた。そんなこともあって、音楽の原体験がリアルタイムよりもずっと前のものだったんです。

——本作の見どころは、20曲以上に及ぶオリジナルの楽曲だ。すべての作曲を担当した亀田についてこう話す。

 あんなにすごい方なのに気さくで。音楽のことで質問すると、小学生がセミの捕り方を教えてくれるような感じで一生懸命教えてくださる(笑)。いろんなジャンルの音楽があるんですけど、どれも昭和の時代の空気をよみがえらせるナンバーになっていて素晴らしいです。

■自分の命を削ること

——中山がエンターテインメントの世界に足を踏み入れたのは12歳の時。オーディションを経てジャニーズ事務所に入所した。当時は夏休みと冬休みにしか仕事がなく、遊び感覚だったという。転機は15歳の頃だ。

 街中で気づかれるようになって、そこで初めて「やばい、もう戻れない!」と腹をくくりました。ちょうど「自分はお芝居がしたい」と思い始めていたので、いろんな人の芝居を見て気づいたことをノートに書き出したり。でもお芝居の仕事なんて全然ない。じゃあどうしようかとなった時、「ないなら勝手にやっちゃえ!」と仲間内でビデオを回して映画を作ったんです。

 だから、ビートルズに衝撃を受けて音楽に目覚めていく主人公は、僕自身でもあります。

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