6場所連続で休場していた白鵬は名古屋場所千秋楽で照ノ富士との全勝対決を制し、優勝した。「右ひざがぼろぼろで、この一番にすべてをかけた」(c)朝日新聞社
6場所連続で休場していた白鵬は名古屋場所千秋楽で照ノ富士との全勝対決を制し、優勝した。「右ひざがぼろぼろで、この一番にすべてをかけた」(c)朝日新聞社
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 横綱白鵬が現役を引退した。相撲界で存在感を示してきた白鵬だが、入門直前に涙を流すなど、意外な一面もあったという。AERA 2021年10月11日号では、入門前から知る元力士の朝井英治さんに話を聞いた。

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「白鵬が『モンゴルに帰りたい』と泣いているように見えました」

 そう振り返るのは朝井英治さん(51)。白鵬(36)が所属する宮城野部屋の元力士で先輩にあたる。

 2000年10月、15歳の白鵬が大相撲入りを目指すモンゴルの若者たちとともに日本を訪れ、大阪の実業団相撲の強豪・摂津倉庫の寮で寝泊まりしていたときのことだ。仲間たちに次々と相撲部屋から声が掛かる一方で、白鵬は取り残されていた。

 白鵬の父ムンフバトさんはモンゴル相撲の横綱で、1968年メキシコ五輪のレスリングで銀メダルに輝き、母国に初の五輪メダルをもたらした国民的英雄だ。その息子に声が掛からなかったのは不思議に思われる。

 しかし、当時の白鵬は身長175センチで体重は70キロにも満たない、色白でやせっぽちの少年だった。いよいよ時間切れで帰国寸前に、宮城野親方(元幕内竹葉山)からの連絡を受けてスカウトに駆け付けたのが、すでに引退して故郷の大阪に帰っていた朝井さんだった。

■明日には帰国の席で

「明日にはモンゴルに帰るというお別れの食事会の席だったと思います。引き取り手のない数人の中から白鵬を選びました。少年相撲の指導をしていた経験から、体ができあがっている子より細い子のほうが伸びる可能性があると思ったからです」

 自分が選ばれたと聞いた白鵬は大声で泣き始めた。その涙はうれしさというより故郷に帰れない悲しさと感じられたという。

「泣きじゃくっている感じでしたから。『そんなに嫌ならいいですよ』と申し出たくらいです。お父さんと電話がつながって正座をしたまま涙を流して話していたんですが、『帰りたい』と伝えて説得されていたんだと思います」

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