――母さん、素晴らしかったよ、かぁ
苦労してきたからこそ、言葉に説得力があるんでしょう。優作が亡くなったとき、私は28歳で、子供は2歳と4歳と6歳。相談できる相手もいない中、一人で三人の子供を育ててきました。明るいところだと見えない小さな光が、暗いところだとよく見えるんです。その純粋さ、美しさが見えると、私は思います。
優作は特別な人だったので喪失感がものすごかったんです。私にとっては先生で、“師”みたいなところのある人でしたから。今でも引きずってますけど、それだけの人に会えたのは幸せだった、と思ってます。
明るいモノが力になる、って思うじゃないですか。だけど感情ってものには朝と夜、太陽と月があるわけです。明るい部分と暗い部分と、セットになってる。だから、明るいばっかりじゃダメなんです。もちろん、暗いばっかりでもダメです。思えば私は、それを、どういう方法で表現できるか、ずっと挑戦してきてるんですよ。
――どういうことですか?
私は『松田優作全集』(2005年11月発刊)という本を、4年かけて作りました。その過程で、優作を通して、自分なりの表現を教えてもらったんです。優作が「やんなさい」って、示してるような気がしました。優作が作品に対し、いかに全身全霊で向き合っていたか見ていたので、私もそうしたんですけど、優作の写真を見ているだけでパワーが伝わってきて、試されているような気になるんですよ。
写真集めも、撮影も、デザインも、全部自分でやりました。
――1冊の本を、一人で?
最初はMacも触れなかったのでアナログで写真を切り貼りしたりしてて、編集者が根負けして「頑張ってください」と、オペレーターを付けてくれましたよ(笑)。
写真を始めたのもそのときからで、アナログがいいと思って自宅に暗室を作り、フィルムを1枚1枚焼きました。そうやって全身全霊をかけてってたら1冊できちゃった、という感じで、この本が私の表現者としての原点。表現者として、覚醒した感じでした。