――“表現者として”今回は“歌”なんですね

 写真も、今回の歌も、自己表現として、です(松田さんは短編映像も撮っていて、監督した『祈り人』という作品が10月22日に東京都写真美術館の「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2021」で上映予定)。そして写真も歌も、私は横入り(笑)。若いときからずっとやってきてる方がいるわけで、《そんなに簡単にできると思ったら大間違いだぞ。その人たちの倍は勉強するぞ》って思いで頑張ってきました。

 歌をやり始めたときは《普通の歌手さんのようなことはできないかもしれないけど、私がやれること、私しかできない表現があるだろう》と思ったんですが、あるボイストレーナーに、こう言われました。
「美由紀さんの歌は言霊です。言葉の力がものすごく強い。うまく歌おうなんて思わなくていいから、思う存分、その言霊を出して下さい」

 あ、そうかと。だから今、自分なりの表現をぶつけてます。

――歌に至るきっかけはあったんですか?

 私、子供のときは歌手になりたかったんですよ。吉田美奈子さんが好きでした。だけど女優への道が開けたわけです。宮本亜門さんが演出した『三文オペラ』(2009年)というミュージカルに出たとき、私が歌うシーンを見たシャンソンの歌手が、美由紀さんはシャンソンを歌ったらいいのに、と思ったそうなんです。その方のことを知らなかったんですけど、その後、お会いする機会があって、「歌った方がいい」と言ってくれたんです。《え、私が歌? いまさら……》と思いましたけど、言い続けてくれて、一昨年11月の初めてのソロライブ、1回目のシネマティック・ライブ・ショーへとつながっていきました。去年は新型コロナの影響でやらなくて今回が2回目ですが、還暦になる誕生日にやるんです。

 姉(女優・谷真実)が出るんですよ。人生で初めての共演です。

――共演が“初”というのが意外です

 私が月だとしたら、真美ちゃんは太陽みたいな人で、子供っぽくて、性格が違うんです。彼女はバラエティーとかに出てて《私とは世界が違う》と思ってたんですね、これまでは。だけど還暦って、赤い服着るじゃないですか。あれは赤ん坊になるってこと。《新しい自分になるときに姉の明るさを借りて飛び出すのもいいな》と思って声を掛けたんです。

 一昨年のライブは、劇場の方が「ここの1年間の演目の中で一番素晴らしかった」と言ってくれました。私の母は57歳で亡くなったんですけど、私も同じ年齢で心筋梗塞(こうそく)になって、その影響で10月開催予定だった一昨年のライブは11月6日、優作の命日に開催することになりました。母のトラウマと優作のトラウマが重なったわけです。それをバァーッと吐き出しましたから、だいぶ抜けましたね。

――だからお姉さんに声を掛けた?

 そうですね。真実ちゃんとは違った方に向かってましたけど、お互いに大人になって、お互いの良いところを認められるようになったかな、と思うんです。《今後、また、真実ちゃんとやっていけたらいいな》って思ってます。

(構成・渡辺勘郎)

*週刊朝日オンライン限定記事