テレビアニメシリーズ「宇宙戦艦ヤマト」の第1話の放送がスタートしたのは、1974(昭和49)年10月6日。
──2199年、謎の星間国家「ガミラス」からの襲撃を受け、放射能汚染により大きなダメージを受けた地球。その影響により人類が滅亡するまであと1年。そんなとき、地球からはるか14万8千光年離れた大マゼラン銀河にある星「イスカンダル」から、放射能除去装置「コスモクリーナー」を受け取りに来るようにというメッセージと、そのために必要とされる「波動エンジン」の設計図が届く。
これらをもとに、第2次世界大戦時から海底に沈む戦艦「大和」が、「宇宙戦艦ヤマト」に生まれ変わる。地球を浄化再生させるためのシステムを受け取り、人類を滅亡の運命から救う、大きな使命を帯びて、ヤマトは遥かイスカンダルに向け、「発進」する。アポロ月面着陸からわずか5年、「スター・ウォーズ」1作目公開の3年前のことである。
壮大でロマンあふれ、かつ斬新な設定とストーリー、<さらば地球よ>から始まる勇壮な主題歌……本放送後に人気は高まり、再放送の視聴率が20%を超え、77年に創刊された“日本初のアニメ雑誌”とされる「月刊OUT」ヤマト特集号が異例の売り上げをみせるなど、ファンの熱量は、日ごとに高まっていった。
◆社会現象化したヤマトブーム
そんな中、テレビ版を再構成して77年に公開された映画「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットを記録。翌年8月公開の完全新作映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は、配給収入が邦画で同年第2位という大ヒット、ブームは社会現象となった。
「月刊OUT」のヤマト特集にも関わり、ヤマトシリーズに深い造詣がある明治大学大学院特任教授でアニメ・特撮研究家の氷川竜介さん(63)は、
「それまで『テレビまんが』『まんが映画』と言われていたものが、ヤマトのヒットで『アニメ』『アニメーション』という名前が浸透しました。78年の5月に、『アニメージュ』という“アニメ”という名前を冠した専門の月刊誌が誕生するなど、アニメを取り巻く環境が大きく変化しました」
と、当時のヤマトの影響を語る。