以前、「百匹目の猿現象」といって、宮崎の幸島に棲息する一匹の猿がある時突然芋を洗って食べるようになりました。すると今度は大分県高崎山の猿も同じことを始めました。二カ所の猿は別の環境にいるにもかかわらず同じ行為を始めたのです。これは一体どういうことでしょうか。この答えは集合無意識という論理を採用するか、テレパシックな超常現象を持ち出さないと解決しませんね。
また、ある時、文化人類学者の今西錦司さんにお会いした時、こんな話を聞きました。ある時オーストラリアかどこかの国で赤ん坊が手をパッと開いて誕生したというのです。それまでの赤ん坊は手を握りしめた状態で生まれていたそうですが、オーストラリア(かどこかの国)の赤ん坊が手を広げて生まれた同じ時期に、北欧のどこかでも、ひとりの赤ん坊が手を広げて生まれたというのです。それ以後は手を結んだり開いたりの赤ん坊が地球のあちこちで生まれ出したようなんです。この話は今西さんから聞いた話で僕の作り話ではありません。
まあ、これに似たような話は他でも起こっているのかも知れません。これを説明するものは誰もいませんが僕は勝手に集合無意識によって起こった一種の流行現象ではないかと思うんです。僕はユングのような心理学者ではないので、僕の発想はいい加減なものかも知れません。だけど流行というメカニズムはどう考えても、この集合無意識によって発祥して、それをまた大勢の人が流行らせるわけですが、その時代はいつか淘汰されて過去のものになってしまいます。
さて、面倒臭い話をしてしまいましたが、僕の個人的な流行について少し触れてみます。まず最初に関心があるのはファッションです。ファッションほど流行に敏感に左右されるものはありません。特に若い人達は常に流行を受け入れると同時に流行の発信者でもあります。ファッションからライフスタイル、そして流行語まで創造します。もうアーティストですね。本物のアーティストと違うのはオリジナリティーの否定です。似ていることが彼等彼女等にとっては重要なんです。そこで考えるのは老人の流行です。老人は好奇心に振り廻されることには関心がないので流行はどうでもいいはずです。と言ってオリジナル信奉者でもないでしょうね。だから老人にとって流行はないんじゃないでしょうか。あるとすれば百歳老人になるための何か肉体改造の流行でしょうか。老人になって初めて流行が打ち止めになるんじゃないでしょうかね。まあ、よう知らんけど。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年11月25日号