「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。今回は、ある夫婦の自主隔離の顛末について。
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自主隔離先のウイークリーマンションに入って2時間。Kさんの妻、タイ人のLさんが急に泣きはじめてしまった。
「どうしたの?」
ご主人のKさんが訊いても泣き続けるばかり。
駐在員としてタイで働いていたKさんは9月末に帰国した。これから日本で働くことになる。小学校にあがる前の子供も一緒だった。
海外から日本に帰国・入国する人は、国籍に関係なく隔離が課せられる。新型コロナウイルスへの水際対策である。
タイからの帰国・入国は、2週間の自主隔離だった。Kさんは1日5500円のウイークリーマンションを2週間借りた。
部屋に入った瞬間、
「狭ッ」
とKさん自身思った。元アパートのようなつくり。小さな台所と2部屋。35平方メートルしかない。日本の感覚ではそれほど狭くはないが、タイのバンコクのマンションは65平方メートルだった。それに天上が低く圧迫感がある。
日本で暮らす家は隔離が終わってから探すつもりでいた。それまで2週間……。我慢できると思ったのだが。
Kさんの妻Lさんは生理中だった。タイにいたときも、生理がはじまると怒りっぽくなる。それが重なったのだろうか。
帰国を急いだのはタイの感染者の急増だった。タイの医療事情は日本より深刻だった。
Lさんの症状は悪化していく。食欲はまったくなく、なにかに怯えている様子もある。パニック障害? そんな病名が浮かぶ。
Lさんはこれまで2回、日本に来ていた。Kさんと一緒の観光旅行だった。しかし今回は暮らすための入国である。
タイ人はこういった状況のときに脆い。ある日系企業の社長からこんな話を聞いたことがある。タイ国内で出張があり、タイ人の女性社員を通訳として同行することにした。するとその女性社員は、ホテルの部屋にひとりで寝るのは怖いので、社長と同じ部屋にしてください、といってきたという。