油阪駅を通過して国鉄関西本線を乗り越すと大宮通りに敷設された併用軌道が始まる。低い家並の市街地をゆっくり走り抜ける近畿日本奈良行き特急電車。油阪~近畿日本奈良(撮影/諸河久:1964年8月5日)
油阪駅を通過して国鉄関西本線を乗り越すと大宮通りに敷設された併用軌道が始まる。低い家並の市街地をゆっくり走り抜ける近畿日本奈良行き特急電車。油阪~近畿日本奈良(撮影/諸河久:1964年8月5日)

奈良名物「油阪の併用軌道」

 路面電車が走らない奈良市内にも、近鉄奈良線の油阪~近畿日本奈良(きんきにっぽんなら/現在は近鉄奈良に改称)に道路併用区間があり、愛好者からは「油阪の併用軌道」と呼ばれ、奈良名物になっていた。

 次のカットは油阪の併用軌道を走る近鉄奈良線の特急電車。併用軌道は大宮通りに敷設されており、奈良線特急が終着を目前にした高天交差点にさしかかるシーンだ。写真の820系は1961年に製造された車体長18m、車体幅2.45mの奈良線用高性能車で、同系の800系と共に上本町~近畿日本奈良を30分で結ぶ特急(特急料金不要)に充当されていた。マルーンにステンレスの帯をきりりと締めた外観で、鹿のイラストを配した特急ヘッドマークがお似合だった。

 近鉄奈良線の出自は大阪電気軌道が1914年に上本町~奈良30800mを開業したことに始まる。軌道法に準拠して敷設され、軌間は1435mm、電車線電圧は600V(1969年1500Vに昇圧)だった。大阪電気軌道は関西急行鉄道を経て、1944年に南海鉄道との合併で設立した近畿日本鉄道となり現在に至っている。関西急行鉄道時代の1942年に軌道から地方鉄道に切替えられた。奈良線は生駒山を貫通する生駒トンネルの掘削断面が狭かったため、1964年に新生駒トンネルが開通するまで、狭幅の車両で運行されていた。

 1969年に併用軌道区間の油阪~近畿日本奈良を地下化する工事が進捗し、12月9日に油阪駅が廃止され、地下新線と新大宮駅が開業。新大宮駅の東方から近畿日本奈良駅までが地下線に移行し、半世紀を超える併用軌道の運行に終止符が打たれた。

神戸市内の路上を走る特急電車

 路面電車仕様の兵庫電気軌道を前身とする山陽電鉄には、兵庫~西代、須磨~東垂水、明石市内の一部に道路併用区間が存在したが、須磨地区や明石市内は1940年代までに専用軌道に切替えられていた。筆者が訪れた1964年には、山陽電鉄の起点である電鉄兵庫(1943年に兵庫から改称)駅から西代駅の手前まで、約2000mの併用軌道が残存していた。

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