1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は特別編として私鉄の特急電車が街中の電車道を走るという珍しい話題を取り上げる。
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大手私鉄にはその発足が路面電車で、時代の要請に応じて高速電車に進化していった路線が多く見受けられる。関東では京王電鉄や京浜急行電鉄の高速電車が路面区間を走る光景が昭和30年代まで散見された。
筆者の学生時代には、さすがにこのような光景は減少していたが、名古屋鉄道(以下名鉄)犬山線、近畿日本鉄道(以下近鉄)奈良線、山陽電気鉄道(以下山陽電鉄)の一部区間には路面走行区間が残されていた。行き交う自動車を横目に特急電車が泰然と道路を走る情景を紹介しよう。
道路併用の犬山橋を渡る特急電車
冒頭の写真は風光明媚な木曽川に架けられた鉄道と道路併用の犬山橋を渡る名鉄特急電車。特急「みはま」は岐阜県の新鵜沼から知多半島の河和を結ぶ座席指定特急(座席指定料金250円)で、名鉄のエースだった7500系パノラマカーが充当されていた。
道路併用区間がある名鉄犬山線の犬山遊園~新鵜沼は地方鉄道法に準拠して敷設され、1926年10月に開通している。地方鉄道法では道路上に軌道を敷設することができないが、木曽川に架橋する鉄道橋を鉄道道路併用橋とすることが愛知県、岐阜県、名古屋鉄道の三者で合意され、例外的な認可を受けて架橋されたのが犬山橋だった。
優美な三連トラス橋の犬山橋は全長223m、幅員16mで、犬山遊園~新鵜沼の駅間距離700mのうち橋梁部が三割強を占めている。「犬山橋上の複線線路中心間隔が3mしかなく、上下線電車の行き違いができなかった」という説があるが、橋上で電車が行き交っていた記録が存在することから確証はない。ただし、橋上の運行速度は対向列車との接触防止の観点から時速25キロに制限されていた。
モータリゼーションや列車密度の進捗で犬山橋が鉄道と道路輸送のネックとなってきたことから、鉄道と自動車の通行を分離するため、新たに犬山橋の下流に並行する全長253.5mの道路橋「ツインブリッジ」が2000年3月に架橋された。これにより従来の犬山橋は鉄道専用橋に改修され、道路上を走る名鉄特急の姿は過去のものとなった。