ただ、両親が国公立大学に入ることを望んでいることにも気づいていた。しかし、私立に絞っていたのでセンター試験は3教科しか受けていなかった。私立大学受験もほぼ終わった2月初め、担任である国語教員から意外な提案を受けた。
「『川田さんは国語が得意だから、それを生かせる大学があるわよ』と、和歌山大学の後期受験をすすめてくださったんです。前期試験も受けていなかったので本当に驚きました」
当時の和歌山大学の後期試験は、センター試験2科目の成績と小論文で判定されていた。
「小論文なんて書いたことがなかったのですが、毎日何本も書いて、添削してもらいました。得意科目なんて一つもないと思っていましたが、力がどんどんついていくのがわかりました」
後期試験は大変な高倍率だが、川田さんは恐れなかった。
「どんなに受験生が多くても、本気で努力している人がどれくらいいるかはわからない。やれるだけのことをやればいいんだ、って」
そして見事、和歌山大学に後期合格を果たした川田さん。この体験は、のちの就職活動でも自身を支えることになる。
「アナウンサー試験は採用人数が少なく、倍率がとんでもなく高い。でもそれを理由にあきらめることはしませんでした。本当にやりたい仕事だったので、自分のすべてを見せて勝負していこうと思えました」
■授業のない日も通った大好きすぎる和歌山大学
和歌山大学での4年間は、「人生を左右するほどの出会いに満ちていた」と振り返る。
「地方の国立大学ですが、全国から人が集まっていました。私は経済学部でしたが、金融関係に進む道だけでなく、マスコミに就職した先輩や、海外で起業した先輩もいて刺激を受けました」
なかでもゼミの恩師である足立基浩先生から学んだことは数えきれないと振り返る。
「授業やゼミで教わったことはもちろんですが、テレビ出演もされる先生だったので、アナウンサーの仕事の大変さややりがいも教えていただきました。就職に際しては『川田さんなら絶対に大丈夫』と背中を押していただきました」