運動が得意で、中学時代はテニス部の副部長。ただ内心では体罰もありの部活に懐疑的だった。学校や社会で「こうだ」とされるものに違和感を抱いていた。そんな思いを言語化し、周囲に話すと「本当にあんたは口から生まれてきた」と半分あきれられ、半分おもしろがられた。

 大きな転機は高1で訪れた。

「高校1年の途中から、どんどん教室にいることが苦痛になってきちゃったんです」

 学校をサボって長野市内の映画館に通い、友だちとマクドナルドで感想を語り合った。「バッファロー’66」やウォン・カーウァイ監督作品などミニシアター系の映画に触れ始めたのもこの時期だ。自分も何かを表現したい。その欲求はあったが、手段はまだわからなかった。高1の終わりに学校を辞める選択をする。「一番つらい時期だった」と京子は振り返る。

「ありあまるエネルギーを上手に発散できないでいて、苦しいのだろうなと見ていても感じました」

 両親は見守るしかなかった。岨手も回想する。

「外にいる間は前に進んでいるというか、新しい体験が続いているという気がして躁(そう)の状態。でも立ち止まってしまうと不安になる。家族のみんなは朝、それぞれ仕事や学校に出かけていく。私はTSUTAYAに行って、映画を借りて家で観る。そんなことを繰り返していました」

 高2にあたる1年間は、青春18きっぷで全国を旅し、行った先で友だちの家に泊めてもらった。そんななかで岨手にある思いが芽生えていく。

「みんな『高校を卒業したら東京に行くんだ』とワクワクしている。私はこのまま何も努力をしなければ、一人だけ、長野に取り残されるんだ、と」

 大検は取得していた。1年間の猛勉強の末に現役で大学入学を果たし、東京暮らしが始まった。

(文・中村千晶)

※記事の続きはAERA 2021年11月1日号でご覧いただけます

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