小室圭さんと眞子さん(c)朝日新聞社
小室圭さんと眞子さん(c)朝日新聞社

■バッシングに家主体の発想

――原教授は、皇族の結婚を取り巻く批判的な世論に共通点を感じるという。

 眞子さんと小室圭さんの結婚に関し、二人の愛情を優先させるという振る舞いに対してさまざまな非難が起こりました。そのなかに、「これから皇族の人数が減り、女性宮家の創設も検討されようとしているのに、自分たちの愛情ばかりを優先させ、皇室の将来について考えていない」という反対意見は当然あったと思います。ただ、「私よりも公を優先すべき」という論理は、先ほど言った宮中某重大事件の際の政府側の論理と似ています。

 バッシングが、秋篠宮家に波及し、「教育方針に問題がある」という声が出るのも、やはり家主体の発想です。

 伝統という意味では、眞子さんが伝統を覆したように思う人もいるかもしれませんが、私はそうではないと考えます。

■女性皇族たちの挑戦

 これまでも皇族、特に女性皇族は常に、宮中の伝統や常識というものに対して、「新しい風」を入れようとしてきました。

 例えば貞明皇后は、大正天皇とともに避暑や避寒のため葉山や日光田母沢の御用邸に長期滞在しました。これもまた公よりも私を優先するスタイルでしたが、明治天皇を理想とする山縣有朋らによって結局つぶされ、定着しませんでした。香淳皇后は、子どもが生まれた時、乳母に子どもを預ける宮中の伝統を破り、自分の母乳で第一子を育てようとしました。父と母がいて、子どもたちも同じ家の中にいるという、近代的なファミリーを作ろうとしたのです。しかしこれもまた私的な愛情によって甘やかすことを心配した貞明皇后や高松宮らの反対にあい、子どもたちは就学年齢になると、寮に入ることになりました。

 香淳皇后は4人続けて女子が生まれ、なかなか男子が生まれなかったこともあり、目に見えて体型が変わってしまいます。子どもたちをすべて夫婦で育てられるようになったのは、戦後の皇太子明仁・美智子夫妻のときからでした。

■キャリアと宮中の伝統

 雅子妃は外交官という職業をもちながら皇太子妃になった初めての女性でした。そのキャリアを生かした皇室外交を目指したのですが、これもまた良妻賢母が美徳とされてきた宮中の伝統とは相いれませんでした。

 雅子妃は男子が生まれなかったこともあって適応障害に苦しみ、2004年5月には当時の皇太子が「雅子のキャリアや、そのことに基づいた人格を否定するような動きがあったことも事実です」という衝撃的な会見を行ったわけです。

◎はら・たけし/1962年生まれ、政治学者、放送大学教授。近現代の天皇制や皇室を研究する。

※後編「眞子さん苦しめた「平成流」とコロナ禍 天皇制をいま再検討すべき理由とは」に続く

(構成/編集部・井上有紀子、澤志保)

AERAオンライン限定記事