ある日、店に入ってきた男の買い上げが、2万円近くなった。帳場で支払いの段階になり、さんざんあちこちのポケットを探したあげく、「あっ、これ」のひと言で取り出したのは、ただの石ころだ。「ヨーロッパでは三万からする石だ、この石と交換しないか」と本気で言う客がいる。こんな客にも店主は応対しなくてはいけない。

 40年以上前に早稲田大学を卒業して以来の、孫を連れての上京で「古書現世」を訪ね、「古本屋さんの屋号見ると、覚えてるんだよねぇ」と、なにからなにまですっかり変わった母校周辺を懐かしむ彼は、蜜柑をひとつくれた。本書の375ページに、「古書現世」の現在の写真が掲載されている。

 いわゆる古本まつりがある。評者はとおりかかれば客になるが、それ以上のかかわりはない。しかし出店者の感情は大きく起伏する。雨に降られた、来客数が予想を下まわった、などの条件が重なると、酒はまずい。期間中は晴天だった、本はよく売れた、来客数は予想をはるかに上まわった、などの条件だと、出店者それぞれの顔は明るく声は大きい、そして酒がうまい。この古本まつりの記載が頻繁にある。

 亡くなった主人が集めた本を売りたいのです、と電話が来て買い取りの現場へいってみると、宝の山だ。亡くなったご主人の写真を見せられると、店へ何度も来たあのかたではないか。

 本は人に買われる。古書店を経由して、人から人へと、本は渡っていく。本は人を呼ぶ。これは確かなようだ。

週刊朝日  2022年11月18日号