──それも含めての水俣病の現実だと?
「そう。裁判闘争などシリアスなテーマを扱っていても、作品としては絶対エンターテインメントとして出さないと誰も映画として見てくれませんから」
──映画は2回の休憩を挟んだ3部構成。とりわけ第3部では「センチメンタルジャーニー」として、胎児性患者の坂本しのぶさんの失恋遍歴をたどっていきますが。
「彼女はこのあいだ還暦祝いをされましたが、地元では“恋するしのぶ”と言われている。映画では3人ですが、彼女が好きになった男の人たちを一緒に訪ねていってインタビューしています」
──支援施設の代表者や新聞記者らに彼女の隣に座ってもらい、バラエティー番組のように聞いていく。もじもじと横を向く姿が乙女のように愛らしいです。
「あれ、いいでしょう。しのぶさんが少女のように初々しい表情をする。私、何度見ても、泣けますもんね」
──しのぶさんを、原さんは「おんな寅さん」と言われていますね。渥美清が演じたフーテンの寅同様、意中のひとの前で恥じらう姿はほほえましく喜劇タッチになっています。彼女は詩を書いたりもする。恋することの意味を掘り下げられています。
「性というのは大きなテーマだと私は思っていますから。あのシーンを撮るのに、じつは3年チャンスを待ったんです。つまり、彼女は自分が水俣のシンボルのような役割を負っているというのはわかっている。でも、それってつらいことですよね。自分の肉体を肯定できない。否定しないといけない。たくさんの人を前にして、水俣病というのは、こういうひどい身体になるんですよ、と言うわけだから」
どう思われますか?と原監督が問うてくる。
「でも、人間は、自分を肯定しないと生きてはいけないと思うんです。その絶対矛盾を引き受けた生き方を強いられるわけですよ」
どう撮れば、彼女が生きる意味を問えるシーンになるのか。心の動きを、映像としてつかまえられるだろうか。カメラを向けながらその一点を考え続けたという。