在りし日の中村吉右衛門さん
在りし日の中村吉右衛門さん

 これは僕の考えであり、違うという方もおられるでしょう。ただ、僕に教えてほしいという人たちには、まず歌舞伎の基本を、と言っております。

 《「松貫四(まつかんし)」という筆名で新作の創作に挑む一方、古典作品を継承する気持ちが強い。洒脱な文体でのエッセーや巧みな絵画による著作も多く、歌舞伎を親しみやすいものにするため、力を注いできた。歌舞伎のこれからをどう見るか。》

 ヨーロッパなどでは、古典文化に対して、公的支援は手厚いと聞いております。が、いまの日本の歌舞伎は、伝統芸術でありながら、不思議なことに、「商業演劇」となっています。

◆ 80歳で弁慶役、それで死にたい

 昔の歌舞伎にはそれぞれ座頭がいて座をもっていた。それが成り立たなくなり、松竹創業者の大谷竹次郎という素晴らしい興行主が各座をひとつにまとめて歌舞伎座を運営し、役者も全部抱えるようになったのです。

 実父は各座が競って切磋琢磨していた時代が歌舞伎にとってはいいと考えておりました。昭和初めごろまでは、文学者や作家の方々も歌舞伎の脚本を「あの役者にあてて書いてやろう」と役者を意識して書かれていたのです。

 いま、演じる立場から見て私の最大の気がかりは、歌舞伎の興行がこれからどういうふうになっていくのかということです。

 大変長い期間、歌舞伎を手がけてきた松竹ですのでお任せしていますが、今後、僕の育てるような若者、僕に共鳴してくれる役者さんたちが活躍できる歌舞伎の形態になるのか、そうでない人たち、誰でも出られる形態になるのか。

 僕は若い人を教えることには骨身を惜しみませんが、教えても使えない役者にしてしまったらと思うと、悩みます。これからの若い人たちは大変だと思いますよ。

 自分はといえば、体が動くうちは舞台に立ち続けたいと思っております。90代で舞台に立たれた役者さんもいらっしゃいますが、80歳で「勧進帳」の弁慶をやり、そのまま引っ込み、あの世に行っても構わないと思っております。

 そのためには足腰を鍛える運動が大切ですね。若いころはなんともなかったのに、最近は一芝居するとガクッときて、横になりたくなります。やっぱりトシというのは恐ろしい。

 若いうち、華のあるうちが役者だというのは、世阿弥もそう言っているから、真実なのでしょう。けれど芸というのは60歳ぐらいにならないと深まらない。それにいまの60歳は昔の40~50歳ぐらいですよ。

 僕もいま初代の亡くなった年です。記憶では、そのころの初代は大変なおじいさんでした。いまの自分のほうが初代より、身も心も若いかなとは思います。

 80歳で弁慶をお見せできる、よかったと思わせる演技でお見せできる、それが夢です。ようやく80歳になって、昔の方の芸にちょっとは追いつくんじゃないでしょうか。その弁慶を自分の集大成にしたい。

 といっても実際はどうなりますやら。神のみぞ知る、ですね(笑)。

 (構成 本誌・林るみ)
     
なかむら・きちえもん 1944年、初代松本白鸚(八代目松本幸四郎)の次男として東京に生まれる。48年、母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子になる。中村萬之助名で初舞台。66年、二代目中村吉右衛門を襲名。2011年、人間国宝に認定


週刊朝日  2013年4月12日号より再掲