当時、東劇に来られたお客様といえば、戦時中、空襲や戦場で大切な方々を失い、耐えに耐え忍ぶ状況から解放され、歌舞伎を楽しみに見に来られた方々でした。2階、3階席で新聞紙を敷いて座ってご覧になっている。場内が「うぉー!」と歓声でどよめく感じでした。

 初代吉右衛門には本当に感動させる力がありました。劇場が感動で揺れる。その感覚が記憶に残っています。

 あのころの楽しみといえば、それこそ歌舞伎、文楽、それに映画を見るぐらい。当時といまとではお客様方の気持ちも生活も違いますから比べようはないでしょう。着物も畳もなくなっていくかもしれません。ただ、歌舞伎が日常生活とは離れても、そこで描かれた人間の気持ちは変わらないと思うんです。

 たとえば「谷陣屋」では、直実は義理に挟まれて自分の子どもを犠牲にしなければならない。殺す、殺さないとまではいかないにしろ、いまの世の中でも似たような状態になることはあるのではないでしょうか。会社でも同じような状況に立たされることもある。

 親子や兄弟友人の情、師に対する敬愛、忠節、無常。古いかもしれないけれど、日本人独特の情は変わらないと僕は信じているんです。

 いくらグローバル化といっても、英語をしゃべっているわけではない。戦後、GHQの政策で全部英語化しようという時代もありましたが、僕はむしろそのほうがよかったかもしれないと思うときもあります。そこで目覚め、もっと日本語の文化を大事にするようになったかもしれないですから。

 いま、われわれが舞台で使っている言葉は難しいといわれます。たしかに、いまの方々には60%ぐらいわからないかもしれませんね。

 でも、事前に少し調べていただければ、ある程度わかりやすくなるのでは、と。自分もシェークスピアやオペラなどを鑑賞するときは調べてから参ります。いや、芝居ってそうじゃない、楽しむものだというお考えもあるでしょう。お客様に勉強を求めるのは、興行の立場からも好ましくないかもしれませんが、歌舞伎に描かれた人間性を見つめるのがお好きなお客様には、ちょいとそうしていただきますと、わかりやすいんじゃないかと思います。

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これ以下は歌舞伎ではない、というのがある