《新しい歌舞伎座のこけら落としを前にして、昨年末に中村勘三郎さん、今年2月に市川團十郎さんと人気役者が相次いで急逝し、歌舞伎界に衝撃が走った。戦後まもなく、先の歌舞伎座の工事中にも、六代目尾上菊五郎、七代目松本幸四郎ら重鎮が相次いで世を去り、歌舞伎の危機が叫ばれたが、歌舞伎界を牽引し、人気を再燃させたのが初代吉右衛門だった。いま、その芸を受け継いだ二代目吉右衛門さんに寄せられる期待は大きい。》
こけら落とし公演では、吉右衛門の新たなファンも増えてくださるかもしれないし、いままで培ってきたやり方で、さらなる高みを目指して参ります。それこそ命がけです。
われわれも高齢になり、肉体的に難しくなってきました。ただ、4、5、6月の公演は、今後の歌舞伎座の発展に非常に大事ですから、まずわれわれの世代が手を携え、お客様に楽しんでいただける芝居をお見せしようと。面白い顔合わせのほうが皆様に喜んでいただけるという松竹の方針もありまして、体力的には無理も承知で(笑)。
◆今後は難しい次世代への継承
これまで、私は歌舞伎を受け継ぐ次世代を担う人を育て、歌舞伎を発展させていくことが何より大事だと申し上げてきました。それは実際には大変なことです。
若手の指導では、自分の場合、たとえば「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」「石切梶原(いしきりかじわら)」「俊寛」「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」などは初代が練り上げたものですので、二代目としてこと細かに播磨屋の型を伝えたいです。
ただ役者にとって一番大事なのは、初代もつねづね言っていたのですが、「役になりきること」、役の性根、気持ちです。どういう人間か、それを深めなければならない。その気持ちになれば自然にせりふが出てくる、と。が、そうは言っても簡単ではありません。
それは自分勝手なせりふ回しではない。ある一定のレベルがあるのです。これだと歌舞伎、これ以下は歌舞伎でない、というのがあります。
僕自身、そういうものを身につけるのに60年かかっていますし、何をやっても歌舞伎になるのは20年や30年じゃできないので、こと細かく教えるしかないと思っています。
初代は初舞台が11歳でした。いまの3歳や4歳に比べると遅いのです。なのに、大人顔負けの芝居をやっていた。それだけ周りの人たちが教え込んだ。本人の感性も鋭く、それを素直に自分のものにしたのです。
当時はいろんな先生方、それこそ超一流の文学者や俳句の方とおつきあいがあり、感性を磨き、知識もいっぱい吸収できたのです。小唄、清元、常磐津も超一流の人たちに教わっている。でも、いまどき、それはなかなかできないことです。初代や実父の時代まではできたのですがね。
昔の公演は夜だけ、日に一芝居という興行でした。昼間はお稽古事に通えました。でもいまは、昼と夜の公演が、お客様動員にすぐれているというので続いている。朝から晩まで出演していると、お稽古に行けない。芝居を教える時間がない。人の芝居を見に行く時間もない。自分のことで精いっぱいなのが現状です。
僕らのころは歌舞伎役者になるなら学校も早退を黙認したりしてくれました。いまは大学に行くのが当たり前の時代、学業との両立は難しい。となると、舞台を離れる期間ができる。その間も勉強で忙しくて舞台を見られない。これからは厳しいなぁと思いますね。
それでも、僕の教え方は、何をやっても歌舞伎になる役者にしたい、ということです。歌舞伎役者なら歌舞伎味をもたねばならない、前衛の芝居をやっていても歌舞伎だな、とお客様が思ってくださるようになれば、一人前の歌舞伎役者だと思うんです。