だがその後、実現は容易でないことが明らかになり、ブームは沈静化した。中国企業がアフリカでランタンのレンタルを始めたが黒字化できず、すぐに撤退した。日本の大企業が「世界の途上国にランタンを配る」とぶち上げたこともあったが、ただ配っただけ。2~3年で壊れておしまいになった。国連の支援を受けたNPOのランタン用充電ステーションも数年で廃屋になった。そんななか、WASSHAはなぜ生き残れたのか。
25円を積み重ねてゆく
「フワッとやってきて、フワッと消えていく人たちをたくさん見てきました。途上国ビジネスは善意だけでは続かない。1泊25円を積み上げて、どうやって人件費を賄い、事業を回していくか。ウチは米田をはじめとする常駐メンバーが現地で業務設計の作り込みと人材育成をやっている。オペレーションが僕らの強みです」
その25円を積み重ね、WASSHAの売上高は今や億円単位だ。現地で雇う従業員はタンザニアが250人、ウガンダが30人。300人近いスタッフを3人の日本人駐在員と現地のマネジメント層が率いている。
事業の規模が大きくなれば、資金調達も増える。それを一手に引き受けているのが、19年に加わった上田祐己だ。丸紅の海外電力チームを振り出しに、国内のスタートアップ企業で執行役員を務めた後、WASSHAに入社した。他社との業務提携交渉にあたったのち、現在はCSO(最高戦略責任者)として管理機能の強化に取り組む。独学でプログラミングを習得。システム開発もこなす万能型だ。
会社の土台を支える上田の加入で、後顧の憂いは無くなった。秋田は今年1月から更なる成長を目指して、現地で新規事業の開発に挑む。
「アフリカで地べたをはいずり回って、現地のお客さんと過ごしている時が彼らは一番幸せそうです」
19年にWASSHAに出資した投資会社ミスルトウの創業者・孫泰蔵は、WASSHAの話になると細い目が一段と細くなる。アフリカの未電化地域を走り回るスタッフが着る黒いポロシャツ。その背中には真っ白な文字が刻まれている。
「Power to the People」
Powerは「電力」と「貧困から這い上がる力」。二つの意味を持っている。(敬称略)(ジャーナリスト・大西康之)
※AERA 2021年12月6日号