雫井:最初は弁護士のパートが死刑問題という社会派的なテーマに寄りすぎていて、家族間の個人的な思いや動きとうまく混ざっていかなかったんです。事情があって書き直さざるをえなくなったとき、家族のパートの方がわりとうまく書けてるんじゃないかという手ごたえがあったので、そこを中心に話を組み直したらまとまりがぐっとよくなった感じですね。

伊坂:前に雫井さんから伺ったんですが、どんでん返しの部分がとある映画と被ってしまって、プロットを全取っ替えされたとか。

雫井:それなんです。構想の出発点でもあった死刑問題に関するアイデアを真相に使おうとしてたんですが、それが被ってしまってました。原稿を全体の8割ぐらいまで書いて先が見えてきたから、気分転換に映画でも観ようかといろいろ探してたら、あれ、これ今書いてるのと似てるなと。確認したらやはり被ってて、このネタは使えないなとなりました。真相を全取っ替えした影響で、登場人物のキャラが変わったり、必要性がなくなった人物を削ったりと大手術になりましたね。本当は僕も去年出せたら良かったんですが、そんな事情で。

伊坂:僕はたまたま昔その映画を観ていたので雫井さんから「オチが被った」と伺った時は「雫井さん、すごい!」と思いました。あの映画を観た時に、このどんでん返し、僕が思いつきたかったと思ったので。

雫井:僕も思いついた時は、「これを思いつく人はいないだろう!」と(笑)。映画は『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』(2003年)ですね。ケヴィン・スペイシーが死刑囚のデビッド・ゲイル役で、ケイト・ウィンスレット演じる新聞記者ビッツィーが、彼の冤罪を晴らすために奔走するという。

伊坂:あの映画も良かったですけど、今の『霧をはらう』のほうが絶対いいですよね。

雫井:いや、映画のほうがよく作られています。

伊坂:いやいや!

雫井:まあ、結果的には離れた作りになりましたから、興味のある方にはどちらも違和感なく楽しんでいただけるのではないかと。

(聞き手・構成/吉田大助)

※この対談の完全版は「小説トリッパー」21年冬季号(2021年12月18日発売)に掲載されます