
10月20日、ツイッター上の中傷投稿への「いいね」で名誉感情を傷つけられたとして、性暴力被害を訴えているジャーナリストの伊藤詩織さんが杉田水脈衆院議員(現・総務政務官)に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が東京高裁であった。石井浩裁判長は杉田議員の「いいね」を違法な侮辱行為と判断し、55万円の支払いを命じた。
国会議員であり、ツイッターのフォロワー数約11万人(当時)の杉田議員。そんな国家権力側の人物が「いいね」を押せば、自分も「いいね」で続きたいと思った人が数多くいた可能性がある。判決では、その影響力の大きさを認めた。
■シニカルに物事眺める
一方で、冷笑する人たちは「マジョリティー側」に立つ意識が強いのではと指摘するのは、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の津田正太郎教授だ。
「権力側に寄り添おうという、そんな意識はあまりなく、むしろマジョリティーの側に立ち位置をとりたいという意識が強いのでは、と思います」
SNSでは、たとえば原発問題なり表現の自由問題なりで激しく意見を交わす「戦い」がよく起きている。だが、自分の立場を明確にして論戦する人はごく一部だ。多くは「またやってるな」と俯瞰(ふかん)して見ている。特定の立場に支持や批判をして旗幟(きし)を鮮明にしてしまうと、「自分がネットで揶揄される対象になってしまうのでは」という不安があるからだと、津田教授は言う。
「俯瞰の立場から冷静に物事を見続けるほうが、心地よいわけです。ただ、その立ち位置は決して中立ではなく、マジョリティー側。だからマジョリティーが嫌がるものを皆で攻撃し、揶揄し、シニカルに物事を眺めるという方向になっていく」
(編集部・小長光哲郎)
※AERA 2022年11月7日号より抜粋