小松さんが最後にシリアを訪れたのは12年。悲惨な内戦が勃発した翌年だった。
当時、報道で知る限り、首都ダマスカスは比較的平穏なように感じられた。小松さんもそう判断してシリアに飛んだ。これまでと同様、アブドュルラティーフ一家を撮影するつもりだった。のちに夫となるラドワンとも会いたかった。
ところがダマスカスに到着して電話すると、「すまないが、来ないでくれ。家族の安全のためだ」と、拒絶された。外国人との接触はスパイ容疑がかかる恐れがあった。後で聞くと、国際電話は盗聴される可能性があるため、本音を話せなかったという。
ダマスカスの街で目にしたのは日常生活が崩れ去る生々しい光景だった。
「歩いていると、突然、スパーンと人が撃たれて、ひっくり返って、血が出ていたり。借りていた部屋で寝ていると、地震みたいにダーッと揺れて、屋上から見ると、黒煙が上がっていた。そういうことが、けっこうありましたね」
■内戦で一変した夫の家族
小松さんは、そんな内戦下の人々の暮らしを目にするうちに、それを撮ろうと、気持ちが変化していく。
「ラクダの放牧などを生業としてきたアブドュルラティーフ一家も、家族の1人が反体制派の疑いで逮捕されて行方不明になってしまった。そして一家は、難民となり、バラバラになっていったんです。土に根差した穏やかな暮らしがいかに短期間に一変したか。そうした難民の姿を伝えたいと思うようになりました」
隣国ヨルダンに逃れたラドワンは小松さんと13年暮れに結婚。日本で暮らすようになったが、当初の生活は大変だったという。
「やっぱり、ぜんぜん違う土地ですから。夫は孤独感にすごく苛まれてしまって、引きこもりになっちゃったんです。14年はぜんぜん取材どころじゃなかった」
翌年から本格的に難民取材を開始。以来、シリアと接するトルコ南部を訪れるようになる。ヨルダンには巨大な難民キャンプが設けられ、国際援助が比較的届いていたが、トルコに逃れた難民にはほとんど援助もなく、現地の住民に混じって暮らしていた。そのひとつが国境の街、レイハンル。
「もともと、このあたりはシリア領だったので、アラビア語を話せる人たちが多い。物価も安い、ということで、シリア難民がたくさん住んでいます」
■母子が語る声を聞く
小松さんがレイハンルで難民の母と子の撮影を始めたのは昨年から。
「でも、イスラム文化なので、女性を撮るのは難しい。さらに難民なので、知られたくないし、撮られたくない。すごくプライベートな家族の生活ですから。彼女たちとの関係性づくりにいちばん時間がかかりましたね」
小松さんは知り合った難民の女性に粘り強く語り続けた。
「惨めな難民としての彼らを撮る、というよりは、それは彼らの要素に一つにすぎなくて、彼らのそのままの姿を撮りたい。この激動の土地に生きる、家族である彼ら。明るさやしなやかさ。そういったことも伝えていきたい。何回も会うなかで、その意図をわかってもらえたら撮らせてもらう、という感じでした」