「へぇーっ、西脇の方なんですか? 今日は偶然なことばかり起こりますね」座長の話は全て口上風に場内の他の観客にも語りかけるのであった。

 大衆演劇の習わしとして舞台がはねると、役者全員が劇場の外に出て客を見送ることになっている。そこで僕は明日の美術館での公開制作に「ぜひ来館を」とご招待することにした。

 そして翌日、金色のロールスロイスにチョンマゲ姿で運転する座長と一番弟子を連れて宮崎県立美術館の公開制作現場にやってきた。驚いたのは何も聞かされていない公開制作の見学者100人ばかりの人たちだ。座長も、まさかこんなに沢山の見物人の前にチョンマゲ姿でやってきた場違いに観客以上に驚いたようだった。こんなサプライズを演出したのは僕だったが、この夜は公開制作の見学者の多くが、劇団澤村の公演に足を運んだそうで、座長は大喜びだったようだ。

 ここで話はガラリと変わって終戦後間もない頃、大阪の父の親戚の人がインチキ石鹸を売るためにチンドン屋を連れてやってきた。毎日わが家から鉦、太鼓、トランペットの鳴り物入りでチンドン、チンドンと出ていくのが死ぬほど恥ずかしかった。夜になると酒盛りが始まって騒ぎ立てる。父も大目に見て一緒になって騒いでいる。僕にとっては悪夢の数日間だった。

 そして話は70年ほど飛ぶ。神戸の僕の横尾忠則現代美術館で数年前、急に澤村謙之介さんと再会したくなって展覧会のオープニングに出演してもらうことになった。公立美術館で大衆演劇を公演するのは前代未聞である。だからか座長は大変緊張しておられた。大衆芸能に興味を持つ僕は、さらに別の日にチンドン屋にも出演してもらうことになった。最初は学生のバイトかと思っていたが、全員大卒の歴とした、中には日本の大衆芸能の研究者もいて、インテリ・チンドン屋のプロフェッショナルである。

 ここで再び僕を驚かす事実に遭遇することになった。大阪のちんどん通信社の社長が若い頃修行していた青空宣伝社の社長が戦後インチキ石鹸を販売していて、大阪の父の親戚がここのチンドン屋を連れて、僕の郷里に行った可能性があると知って、この偶然が再び70年後の僕を驚かすことになった。さらに、現社長の林幸治郎さん(チンドン屋)は、何と初代の澤村謙之介さん以後の方たちとも知人であるという事実が判明して、またまた、偶然の新情報を得ることになった。僕の生涯の初期から晩年の今日まで、時空を越えて偶然というシンクロニシティーによって不思議な運命の絆(きずな)に導かれて僕はただただ驚いているしかなかった。夢と顕在意識のコラボレーションが、このような奇跡的な不思議を演出してくれたのである。チンドン屋→澤村謙之介→チンドン屋→澤村謙之介と鎖のようにつながっていく、連続性はもしかしたら人生そのものの終わりなき法則ではないかと、そんな気がするのである。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年11月11日号

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