──黒澤映画の聖域に足を踏み入れることに躊躇(ちゅうちょ)はなかったですか?

「それは全くなかった(笑)。黒澤映画は何度もリメークされて成功している。個人の好き嫌いは別にしても。『荒野の七人』や『スター・ウォーズ』や『荒野の用心棒』、ほかにもあまり知られていないが『暴走機関車』とか。逆に黒澤自身もシェークスピアやドストエフスキーを素材に映画を作った。それも大胆な解釈で。黒澤はシェークスピアの言語に全くこだわらず、とてもクリエーティブに脚本化した。だから僕は映画に聖域があるというようなことは意識したことがないんだ」

「黒澤の『生きる』の脚本はほぼ完ぺきだと感じた。ただ映画化の手法がそれに合わないのでは、とも。アクション映画のようでズームも多くカメラの動きもドラマチックだ。もし主演を志村喬の代わりに『東京物語』の笠智衆が演じていたらどうなっていただろうか、と思う。笠だったら、もっとストイックにあの役を演じたと想像する。ユーモアを込め静かな雰囲気で。そんな思いから本作では主演をビル・ナイに想定して脚本を執筆した。彼は英国版の笠智衆だと思えるから」

──脚本化にあたり気を配ったことは?

「黒澤の名脚本に、僕なりのいくつかの案を加えようとした。まず英国紳士というテーマ。特別な英国人らしさ、いつのまにか、英国社会から蒸発するように消えてしまった人たちにとても興味をそそられるんだ。同時に、僕は、これもまた消滅してしまったと感じる30年代後半から第2次大戦直後あたりまでの英国映画が大好きだ。大戦中に英国政府がプロパガンダのために映画へ資金を注いだせいで、矛盾するようだが映画監督はある種の限られた自由を獲得し、名作が生まれた。戦後は映画界を含め、英国社会全体が、自信を失った時代だったと思う。例えば『バルカン超特急』(38年)でマイケル・レッドグレーブが演じたような役は、戦後の映画には登場しなくなった。戦後の英国人俳優というのは、姿勢も発言もずっと米国風だ。マイケル・ケインやショーン・コネリーなどの俳優は前世代の英国俳優とは違う。前世代の英国紳士像は、英国が世界で最も強大な国であると信じていた時代の人たちであり、その自信が消えると彼らも消えていったんだよ」

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