『Qを追う 陰謀論集団の正体』
朝日新聞出版より発売中

 安倍晋三元首相が殺された。背後から銃で撃たれて亡くなった。朝日新聞の同僚は現場で事件直後の様子を撮影し、その写真は米国の主要メディアでくり返し放映、掲載された。

 ただ、事件を信じない人たちがいる。

 7月末、本書に登場するオリビア・ダーレスター(66歳)が突然、こう尋ねてきた。「ねえ、あなたのところの元首相って、殺されたの?」

 彼女は続ける。「多くのひとたちがね、彼は殺されてないんだって言ってる」

 私は返す。「誰が言ってるの?」

「トゥルース(真実)コミュニティーの人たちがたくさん。私は60:40ぐらいで、彼が生きているって信じてる」

 オリビアは、陰謀論集団「Qアノン」の一人だ。彼女たちは「真実」という言葉を好み、それがどれだけ事実や世間一般の認識とかけ離れていようが、自分たちの「真実」に固執する。

 Qアノンが広がったのは、米国だけの話ではない。日本にも深く、根を張っている。日本のQアノンコミュニティーでも、安倍氏の殺害について

「トランプが安倍と『英雄』として死ぬ取引をした」「安倍が総理大臣時代に数え切れないほどの日本人を拷問して殺した」「安倍首相暗殺は明らかに茶番」といった荒唐無稽な主張が飛び交った。

 Qアノンは、客観的な事実よりも感情を揺さぶる言説が強い影響力を持つ「ポストトゥルース」の時代において、最も成功した陰謀論と言える。ソーシャルメディアがうまく活用され、トランプら政治家も拡散、増幅に大きな役割を果たした。日本では反ワクチン運動と結びつき、人びとの恐怖につけこんだ。

 なぜ、ウソを信じるのだろう。そのウソはなぜ、どれほど広がるのか。本書では主に2020年10月から22年3月にかけて取材した成果をまとめたが、私の根っこにあった信念は「ウソに対抗するには、事実を淡々と並べるしかない」というものだった。

 意識したのは、「小さな主語」で語ることだ。「陰謀論者」とか「Qアノン」とか「名無し」とか、そういった言葉でひとくくりにするのではなく、登場人物の氏名を明示し、ひととなりがうかがえるような書き方をめざした。

 そうした作業を続けていくうちに、「Qとは誰なのか」という問いに答える努力をしなければならないと考えるようになった。Qが、自称するような「政府の機密情報を握っている人物」とは――少なくとも私には――信じられなかったし、事実を提示することで、Qアノンの「ラビットホール」(うさぎの巣穴)にはまって抜け出せないひと、あるいははまりそうなひとを救えるのではないかと考えた。

「Qではないか」と疑われているロン・ワトキンスへの取材は欠かせなかった。事前のアポは入らなかったが、ロンの出るイベントに足を運び、日本人記者として初めてロンへの接触に成功した。本書ではロンがQ本人なのかどうか、多角的に検討している。ここまで詳細に「疑惑」を裏付けようとした試みは、世界的に見てもほぼないと自負している。

 とはいえ、Qアノンの信奉者たちは主要メディアを信じておらず、自分たちにとって心地よい情報環境に囲まれて過ごしている。そして、さらに事態を複雑にさせているのは、信奉者たちはそうした環境にどっぷりつかっていることを「幸せ」と感じていることだ。「真実」に「目が覚めている」と思い込み、優越感のようなものを覚えている。

 それでも、信奉者を「あちら」、自分たちを「こちら」と分けて、見て見ぬふりをすることはできない。私たちはともに、同じ社会に暮らしている。米国では「大統領選が盗まれた」、日本では「コロナワクチンから子どもを救わねば」という思い込み、正義感から、それぞれ連邦議会議事堂襲撃事件、ワクチン接種会場侵入事件が起きた。ウソを真実と思い込むことは、家族や友人の関係を破綻させ、実社会に好ましくない影響を与える。

 だからまず「Qアノンとは何か」を、正しく知ってほしい。誰がなぜ、どんな主張を信じ、なぜ広がり、サークルの中心にいるのは誰か。それらの事実は、あなた自身を、あなたの大切なひとを、救う一助となるかもしれない。