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 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、新聞紙面について。

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 新聞か週刊誌の編集者なら、どんな紙(誌)面を作るか? ですか。

 先ず新聞から考えてみましょう。そこでうんとビジュアルな紙面を作ります。それも世界にない新聞を。

「エッ、世界にない?」

 ハイ、そうです。恐らく世界にない新聞です。ある朝、新聞受けから取り出した新聞を見た購読者はびっくりするでしょうね。新聞紙面というと、広告以外はビッシリ活字で埋まっています。こんな文字でベタベタの紙面は気分が重くなります。わざわざ記事にしなくてもいいような記事も掲載されているように思います。というか記事があり余っているんでしょうかね。だから、スペースが空くと、そこに何でもいい、記事を放り込んで、全面ベタベタの活字だらけにして、さあ、これで今日の紙面は上手くいったぞ、1行だって空いてないよ、まるでジグソーパズルの完成図だ。

 毎日配達される新聞の活字の多さに、時には威圧感さえ覚えてしまいます。言葉、言葉、言葉の洪水にうんざりしてしまいます。僕は言葉と対極の仕事をしています。言葉は真実を語るかも知れませんが、嘘も平気で語り、それをマに受ける一般大衆もいます。僕は言葉に対していつも疑問を持つタイプの人間です。だからというわけではないが、僕は言葉で語り尽くすことのできない概念をビジュアルで表現します。言葉には文体がありますが、絵にも文体があります。絵の文体は絵具のマチエルが作る形や色です。マチエルも、形も色も、文章以上に雄弁です。ところが、そのことに気づかない人が多いのです。言葉で語ってもらわないと理解できないのです。活字の言葉しか信用しないのです。絵はそうではなく、自分の感性によって自らが絵を理解するのです。つまり自分が絵を通して自分の言葉を創造するのです。そこが大きく違います。

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