人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「平良敏子さんの思い出」。
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季節の変わり目、新聞でまず見るのが死亡欄である。
ずっと心にかかっていたのが、人間国宝の平良敏子さん。お人柄にふさわしく、さり気ない記事にまとめられていたが、私にとっても日本にとっても、忘れてはならない人である。
九月十三日、百一歳で沖縄県大宜味村の自宅で亡くなった。大往生である。ほとんど自宅にこもって「芭蕉布」の復興と制作、指導につくした一生だった。
一九二一年大宜味村喜如嘉の生まれ。十五世紀発祥ともいわれる長い歴史をもつ芭蕉布の産地で、沖縄戦で衰えていた仕事に取り組んだ。
一度触れたら忘れられない布地である。糸芭蕉を畑で育て紡いだ布は、シャキッとして涼し気で、生成りの色に手織りの絣模様。その素朴でシンプルな美しさはどんな豪華な衣裳をもしのぐ。
私は雑誌の仕事で、平良さんの工房を訪れたことがあった。インタビューを申し込むと必ず自宅まで来て欲しいといわれた。手間のかかる仕事の一部始終を見てもらいたいという思いだったろう。
その日、那覇の空港から車で米軍基地の並ぶ海岸を高速で過ぎ、沖縄本島北部に向かう途中、一羽の鳥を見た。そこだけ森が途切れて、砂場に小さな石がころがっている。その間を縫うようにしてグレーの色をした地味な鳥が地を這っていく。
くちばしだけが赤い。ヤンバルクイナ? 案内の人が「珍しい。浜辺に出てくるなんて」。ヤンバルクイナは沖縄北部に生息する天然記念物の飛べない鳥である。
「幸運ですよ。滅多に見られない!」
私はこの先の取材の成功を信じた。
そこから先に進むこと一時間余り、芭蕉の葉がそよぐ畑を過ぎて奥まった所にある平良さんの工房。ご本人は糸染めの最中だった。今は跡継ぎの娘さんと、近所の主婦たちが機を織っている。仕事の切れ目を待ってお話を伺うことにした。