対談した桜井昌司さん(左)と金聖雄監督
対談した桜井昌司さん(左)と金聖雄監督
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 これ以上のドラマはなく、これ以上の事実はない――。10月8日公開の金聖雄(キムソンウン)監督(59)の映画「オレの記念日」は、布川事件(1967年)の冤罪被害者である桜井昌司さん(75)のドキュメンタリーだ。29年に及ぶ獄中生活。そこで得た幸せとは、喜びとは。2人が語り合った。

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金:本作「オレの記念日」は、桜井さんにはもう何度も観てもらっています。

桜井:はい、「ああ、いつものオレが映ってるな」と。でも、映画を観てハッとさせられたのが、結婚式のシーンでの自分のあいさつです。1999年、52歳でしたが、「残りの人生を刑務所の中とおんなじに精いっぱい生きていくつもりです」と言ってる。あの時すでに、29年の獄中生活を自分そのものだと確信していたんですね。要するに、塀の中の自分も自分自身であって、今後も変わりなくやっていけばいいんだと意識していたのを、改めて確認できました。

金:だから、ちょっとでもいいから、刑務所の中の日々を隠し撮りしておいてくれたらと(笑)。

桜井:ホントその通り。ナカの映像があればすごかったよね。当時のハツラツたるオレの姿がよくわかるから。刑務官だって驚いていたもの。「お前、刑務所に野球しに来たのか?」「ハイッ」って(笑)。

金:とはいえ、どう考えても壮絶な経験です。だからこそ、僕は最後のシーンが好きなんです。桜井さんが、「自分の体験は生易しいことじゃなかったかもしれない」と言ってからニヤリとして、「まあ、それを楽しんだのがよかったよ」と笑う場面。

桜井:へぇ? そうか。

金:あの言葉の背後にどれだけの重い事実があることか。だって、刑務所に入れられた時に「よかった」と思うわけなどありませんから。

桜井:目の前が暗くなりました。無期懲役が確定して千葉刑務所に送られたんだけど、今でもあの日は「暗くて寒い日」としか覚えていません。目の前がホント真っ暗になったんです、「ああ、終わっちゃった、オレの人生」って。31歳でした。

金:無期懲役だから、一生刑務所を出られないかもしれない。そんな絶望を抱えて、暗闇の向こうにどうにか光を探して毎日を過ごしてきた……。

桜井:違う違う。そんな光なんて見てないよ。

金:え、見てなかった?

桜井:見てない、見てない。ただ目の前だけですよ。一日一日なんですよ。

金:「いつの日かきっと」という将来の望みは、そこにはなかったんですか。

桜井:それはもう自分の力の及ぶ範囲ではないと思ってたから。塀の中に入れたのも“向こう”、出すのも“向こう”。となると、一喜一憂しても意味がない。だったら、一日限りの今日を自分なりに精いっぱい楽しく生きようと決めたんだね。自分を幸せにできるのは自分だけですから。

金:誰にでもできることではないけれど。

桜井:できますよ。全部捨てさえすれば。何か背負っていると、未練が生まれて悩んじゃう。断ち切れば、自分ができることを一生懸命やるしかない。「あ、オレ今日は頑張ったな」という喜びをせめてもの幸せとして積み重ねていこうと決めた。獄中で得たのは、苦しみは喜びに変わる、倍にさえなるんだという経験なんです。幸せや喜びなんていうのは、自分がそう思えるか思えないかの差でしかない。刑務所で29年間を失って、その意識を得られたわけです。

桜井昌司さん
桜井昌司さん

■イメージ覆すポップな冤罪被害者

金:初めて桜井さんにお会いしたのは、2010年でしたね。僕が「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」(13年公開)で、石川一雄さんのドキュメンタリーを撮っていた時期です。冤罪被害者の石川さんが、千葉刑務所で一緒に過ごした3人と座談会をすることになり、そこに桜井さんが。

桜井:そうそう、4人とも「殺人犯」と呼ばれていた千葉刑務所同窓会。

金:狭山事件の石川さん、布川事件の桜井さんと杉山卓男さん、足利事件の菅家利和さんが集まって。

桜井:われわれの闘いの終盤戦のころでしたね。

金:布川事件の再審もまだ始まっていませんでした。そんな状況にもかかわらず、皆なんだか楽しそうに、どうのこうのと盛り上がって。

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「あ、桜井さん死んじゃう」