9月11日に投開票された沖縄県知事選は、辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」が推す現職の玉城デニー氏(62)が、「容認」を掲げた佐喜真淳氏らを破り、再選された。知事選の結果は沖縄に何をもたらし、日本の民主主義に何を問いかけているのか。
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「あの知事で大丈夫か」
4年前の沖縄県知事選。玉城デニー知事が初当選した直後、辺野古新基地建設の反対に共感しているらしい東京の人から、そんな疑念をぶつけられた。
「反対を貫けるのか」という意味なのか、「政府と折衝できるのか」と言いたかったのか、「大丈夫か」の真意はよくわからない。
ただ、この数年前まで沖縄県民だった私は、「上から目線」の質問に少し腹が立った。知事を選んだ県民を馬鹿にしたような口ぶりに聞こえたのだ。うまく表現できないが、基地を押し付けているのは「本土」の側だ、というようなことを言いたいのではない。もっと根源的な、政治的に右だろうが左だろうが相容れない、何か。
そして今回の知事選。
開票率0%での玉城知事の「ゼロ打ち当確」が伝えられると、「沖縄県民」がツイッターのトレンドワードに上がっていた。沖縄は台湾有事や尖閣有事に備えなければいけないのに、玉城知事で大丈夫か、との声が「本土」から上がる。
都合よく「沖縄」を解釈
日本国内で最も身近に中国の軍事的威圧を肌で感じ、安全保障に関する知識にも通じている沖縄の多数世論が何を求めているのか。これに向き合おうとせず、「本土」の右派も左派も都合よく「沖縄」を解釈して、罵ったり、喜んだり、不審を抱いたりしている。
辺野古新基地建設に反対する政治運動の母体ともいえる「オール沖縄」の弱体化は否めない。政府との話し合いの糸口も見つからない。「辺野古」が争点と言われた今回の知事選でも、「辺野古反対」や「辺野古阻止」という声を上げるのはもちろん、そうしたフレーズを聞くのさえ、空疎に感じた県民が少なくないのも事実だろう。
それでもなお、「辺野古反対」の民意は底堅い。この民意をくみ取る知事が、政府に対話を求める姿勢を継続しているからこそ、沖縄の民主主義の体裁はかろうじて守られている。「辺野古」をめぐって一切の話し合いに応じようとしない国側に問題があることは多くの県民が理解している。