死去したゴルバチョフ元ソ連大統領は、NATOの東方拡大を批判してきた。ロシアのウクライナ侵攻が続くなかで、同氏が残した問題提起を考える。AERA 2022年9月19日号の記事を紹介する。
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20世紀末に東西冷戦を終結させたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が8月30日、91歳の生涯を閉じた。ロシアが軍事侵攻したウクライナを舞台に、ロシアと北大西洋条約機構(NATO)諸国が「東西新冷戦」ともいえる状態で対峙(たいじ)するさなかだった。彼は自らの死で身を賭して、人類への警鐘を鳴らそうとしたように思えてならない。
ソ連という社会主義の全体主義国家から民主化改革(ペレストロイカ)と新思考外交を進めたゴルバチョフ氏が登場し、新生ロシアという曲がりなりにも民主主義体制の国家から強権的なプーチン大統領が生まれた。これをどう考えればいいのか。
ソ連崩壊後に味わった「屈辱の90年代」の反動としてロシア国民が強いリーダーを求め、それがプーチンを生み出す土壌となり、今のウクライナ戦争につながった──との見方がある。
だが、内政と外政は常にリンクしている。プーチン氏の政治は明らかに、対外環境に影響されて変化していった。もし最初から隣国を侵略するような思想の持ち主なら、トップ就任から20年超も待つだろうか。
■プーチン氏変えた要因
当初はNATO加盟も検討していたプーチン氏を変えた最大の要因は、米国の有識者らも危険性を警告していたNATOの東方拡大である。ロシアのウクライナ侵略は国際法も国際人道法も踏みにじる暴挙であり、決して容認することはできない。だが、なぜここまでの行動に出たのかを突き詰めれば、ロシアが安全保障上の脅威だとするNATOの東方拡大に行き着く。米欧には不都合な真実であっても、目をそらしてはならない。
西側を熱狂させたゴルバチョフ氏と、西側から嫌悪されるプーチン氏とは、政治思想も政治スタイルも正反対だ。だが、2人の意見が合致するのが、NATO東方拡大への批判なのだ。
1989年の冷戦終結時に16カ国だったNATO加盟国は、旧東側陣営のワルシャワ条約機構加盟国などが順次加わり、30カ国まで拡大。旧ソ連のウクライナも親欧米政権がNATO加盟を希望し、米国などNATO側は2008年に将来的な加盟を認めることで合意していた。