森に囲まれた軽井沢の自宅で、夫のハリスと愛犬アーサーと。ムササビの巣箱は、取り付け時の半分の大きさになった。鈴木は「ムササビがかじったの。ベランダも、こんなに穴があいちゃった」と目を細める(写真=鈴木愛子)
森に囲まれた軽井沢の自宅で、夫のハリスと愛犬アーサーと。ムササビの巣箱は、取り付け時の半分の大きさになった。鈴木は「ムササビがかじったの。ベランダも、こんなに穴があいちゃった」と目を細める(写真=鈴木愛子)

■親の離婚で母子家庭に 小3から祖父母に預けられる

 鈴木と経営者仲間であり、エグゼクティブコーチングを手がけるアイディール・リーダーズCEOの永井恒男(50)は、「彼女自身がビッグピクチャーを描いて実行できる、稀有(けう)な人。『近いうちに社長になる』と宣言し、本当に数年後にはそれを実現していました」という。

 そんな鈴木は、一貫してがんの完治を目指し、世界を奔走してきた。鈴木のハングリー精神の原点には、母子家庭で育った幼少期の経験がある。

 鈴木は母(70)の実家のある、栃木県栃木市で一人娘として生まれる。両親は早稲田大学で出会い、熱烈な恋愛の末に学生結婚した。

 鈴木の出産時、母は大学2年生だった。就職の時期を迎え、編集者を志して出版社の就職試験を片っ端から受けたが、「面接で幼児がいると伝えると、当然のように落とされました」と述懐する。

 70年代は、日本でもウーマンリブ運動が展開されていた。母は「女性が男性と対等に働くのは当然」と考え、知人の仲介を得て絵本や児童書の出版社に就職。時短勤務をしながら家事と育児をこなした。一方の父は、仕事で余裕がなかったのか、時代性もあるのか、家事や子育てにほとんど手を貸さなかった。鈴木が3歳の時に両親は離婚する。

 離婚後、東京の下町で母子の二人暮らしになる。母は徐々にフルタイム勤務に切り替え、鈴木を保育園に預け、発熱時は実家の親にヘルプを頼んだ。

 鈴木は、東京・金町の小学校に入学する。鍵っ子となったが学童保育へは行き渋り、放課後は学友と遊び、家ではと戯れた。

「家庭に父がおらず、『女の子はこうあるべきだ』的な縛りがないまま育ちましたし、言葉を選ばなければ、母からは『ほっとかれた』。自分の時間が長かったんです。『自分のレールは自分で敷く』感覚が私の中で醸成されていった気がします」

 ただ、母からの影響は少なくない。母によれば、ある日、鈴木から「私、将来結婚して自分の手で子どもを育てる」といわれ、こう諭したという。

「女性の自立には長い歴史があって、自立のためには働かなくちゃダメなのよ」

 鈴木は、「ジェンダー平等の考え方は、きっと母から『洗脳』されてますね」と頭をかく。

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