幕末期の幕臣、山岡鉄舟ゆかりの旅館で社員研修を実施。剣、禅、書の達人でもある鉄舟は、自身が書いた書を売って寺を建てたり、木村屋のあんぱんを世に広めたり。「開拓精神はモデルナと同じです」(写真=鈴木愛子)
幕末期の幕臣、山岡鉄舟ゆかりの旅館で社員研修を実施。剣、禅、書の達人でもある鉄舟は、自身が書いた書を売って寺を建てたり、木村屋のあんぱんを世に広めたり。「開拓精神はモデルナと同じです」(写真=鈴木愛子)

■15歳から欧州で生活する 「漢字はいまだに苦手」

 オミクロン株の流行が始まった時期に就任。ワクチンの期限切れによる大量廃棄の問題も取り沙汰され、一筋縄ではいかない課題にも対処する。

 鈴木は、国のライフサイエンス行政などに関わる場でも、10以上の委員やアドバイザーを務めてきた。当初はあらゆる会議の場で、鈴木が紅一点という状況が続いた。ただ、コロナ対応を検証する政府の有識者会議などで座長を務める自治医科大学学長の永井良三は、鈴木が企業トップや国の委員に推される理由は、実績によるものだと言う。

「バブル崩壊後、日本企業は人材のグローバル化が致命的なほど遅れた。ライフサイエンス界では、科学者として基礎研究のトレーニングを十分に積み、グローバルに実業界で活躍している人材が、そもそも男性も含めて少ないんですよ」

 実際、鈴木は医療のグローバルカンパニーを渡り歩くプロ経営者だ。エーザイ欧州本社を経て東京本社では、16年に執行役員に就く。17年から英ジョンソン・エンド・ジョンソンの製薬部門ヤンセンファーマで前立腺がん、血液がん、免疫疾患などの仕事に携わり、上級幹部に。CEOとなったフェリングでは不妊症薬などを扱っていた。

 バートンは、ヤンセン時代の上司。鈴木をモデルナ日本法人の社長に推薦した理由をこう語る。

「鈴木はバイオロジーへの造詣が深く、製薬業界での事業経験も豊富です。科学的な背景を深く理解し、込み入った折衝を伴う役割を遂行するのに彼女こそ相応(ふさわ)しい人物だと思ったのです」

 鈴木は15歳で欧州に「飛び出し」、18年に及ぶ滞在期間のほとんどをイギリスで暮らした。「私は日本人ですが、感覚的にはほとんど英国人。漢字を書くのはいまだに苦手」だと自認する。

 交友関係は世界に広がる。米モデルナの共同創業者でマサチューセッツ工科大学教授のロバート・ランガーとは、家族ぐるみの付き合いがあり、19年に学会がハワイで開かれた際は、ランガーが「1on1」でキャリアの相談に応じた。その場でランガーが「日本人は非常に優秀で勤勉だが、ビッグピクチャー(大きい志)を描くのは不得意な人が多い」と指摘すると、鈴木は「優秀で勤勉な日本人がそれをできるようになれば、世界一になるのではないでしょうか?」と尋ねた。ランガーは笑顔で「その通り。ビッグピクチャーを描き、実現に向けてリスクを受け入れることができれば」と返してきたという。

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