鈴木は小3から栃木市の祖父母宅に預けられた。母は東京で働き、週末だけ実家で合流。だが田舎では、他人との家族形態の違いを突きつけられた。
「田舎だと両親がいるのが前提で、働く母親も少なかった。母子家庭の子は、クラスに私ともう一人だけで、その子とは仲がよかったですね。肩身が狭く、差別的に見られていると感じていました」
母が、「地元の公立中に進んだら、この子は『出る杭(くい)』になる」と、自由な校風で知られる私立の中高一貫校、自由の森学園(埼玉県飯能市)の受験を勧めた。鈴木はここに進学して寮に入り、週末だけ東京の母宅へ通う。授業を抜け出しては河原で遊んだ。そのうち「さすがに遊びすぎだ」と自覚し、「高校は行かず、外国に行く」と思い立つ。母から「大学は楽しいから行った方がいい」と助言され、「大検(大学入学資格検定)を取れば母を説得できる」と、短期間で合格を果たす。
15歳で単身欧州に渡った。
ドジな一面もある。渡欧直後は英語がわからず、現地の大学の入学案内を見て、英ケンブリッジ大学の英語検定のうち、特上級が入試に必須だと勘違いした。学費の安いスウェーデンで2年間英語を猛勉強した末、特上級に合格。実は、1段階下に合格していれば入試の資格が得られたと、後で判明した。結果的に、流暢(りゅうちょう)な英語力が身についた。
かくして18歳でウェールズ大学に入学する。その後、英南西部にあるエクセター大学の社会学科で修士課程に進み、20歳で転機が訪れる。
友人2人が相次いでがんを患い、悪化の一途を辿(たど)る病状に鈴木は胸を痛めた。ある日、不思議な夢を見て目が覚め、「私は、がんを完治するために生まれてきたんだ」と、天啓に打たれたように自分の将来像がくっきりと頭に浮かんだ。
(文中敬称略)
(文・古川雅子)
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