5月に東京・丸ビルのマルキューブで行われた「沖縄復帰50年 HAPPY OKINAWA FESTA 2022」にゲスト出演し、具志堅用高(写真左)やゴリ(右)と爆笑トークで盛り上げる。自身のルーツ・沖縄にできる限りのことをしたいと考えている(撮影/篠塚ようこ)
5月に東京・丸ビルのマルキューブで行われた「沖縄復帰50年 HAPPY OKINAWA FESTA 2022」にゲスト出演し、具志堅用高(写真左)やゴリ(右)と爆笑トークで盛り上げる。自身のルーツ・沖縄にできる限りのことをしたいと考えている(撮影/篠塚ようこ)

 もともと沖縄は、多様性が根付いた土地だとryuchellは言う。特にryuchellが住んでいた中部には普天間、嘉手納基地をはじめ広大な米軍基地があり、暮らしのそばにアメリカ兵がいる。国際結婚も多く、離婚率も高く、シングルマザーも多い。ryuchellの父方の祖父も米兵だ。父が生まれてすぐアメリカに帰った祖父について、祖母は多くを語らなかった。

「中部は貧富の差も大きくて、小学生から新聞配達をしたり、中学生から路上でアイスクリン売りをしたりするのが当たり前。僕だけじゃなくみんな『修羅くぐってる』んです。いろんな人を見るなかで多様な考え方になるし、自立心も強くなる」

「あの子誰?」「可愛い!」
高校で男女から注目される

 ファッション面でもアメリカンカルチャーにどっぷり影響された。ジャスティン・ビーバーにブリトニー・スピアーズ、「シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ」などの米ドラマ、ビジュアル系ロックバンドの美しい男性たちにも憧れ、自分もああなりたい、と思った。

 しかし中学に入ると状況は一変した。

 ryuchellは、沖縄の中学校はヤンキーがトップに君臨するカースト社会だという。入学早々、上の階から新入生めがけて唾が降ってきた。しかし絶対に上を向いてはいけない。見上げてしまった友人は即、呼び出されてボコボコにされた。

「中学では目立ったらアウト。目を付けられないようにファッションはもちろん、話し方や好きなものが女の子っぽいということを必死に隠していたんです」

 孤立する勇気はなかった。ヤンキー友達とほどよく付き合い、自分を隠して振る舞った。

「自分の好きなものを我慢するだけじゃなく、自分を捨てていく作業だった。それは、自分が弱いからなんですけど」

 中2で初めてメイクをした。外では見せられない自分を発散したかったのだ。中3からツイッターに写真をアップした。もちろん鍵アカウントで、誰にもバレないように。この自分を殺した3年間が、その後のryuchellを決定づけた。もう自分を偽りたくない。地元の友達もいない、自由な高校へ行こう。そして選んだのが、学区外の県立北中城高校。実際、そこはパラダイスだった。

(文・中村千晶、文中敬称略)

※記事の続きはAERA 2022年9月5日号でお読みいただけます。

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