芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、芸術と実生活について。

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 身体のあちこちが破壊されて悲鳴をあげている。ほぼ感覚は全滅、脳は営業停止状態。商売道具の五感も機能停止。

 ぼんやり本棚を眺めていると、20年以上も前に買った平野謙「芸術と実生活」が目に留まった。頁を開くが読んだ形跡は全くない。7人の作家の作品を採り上げているが、どの作家のどの小説も読んでいない。

 芸術と実生活で思い出すのはヘルマン・ヘッセの生活である。庭仕事と水彩画を描く。両方共プロ級の腕前だ。美術家のマルセル・デュシャンは、チェスを生活に持ち込み、何も浮かばない時は無為の生活に浸るという。では僕の生活は? と聞かれると、病院かな。一寸でも身体に異変を感じると飛んで行くのは病院だ。2年に一度くらい入院もする。入院は退屈なので、病室をアトリエに変えてしまって、制作三昧。絵を描くことも治療になる。絵に飽きると点滴液をぶら下げて、院内散策とコンビニに入りびたる。僕の生活といえるのはこの病院生活以外に何も浮かばない。では普段の生活はといえば朝食が終わるとサッサとアトリエへ。夕方に帰宅。夕食のあと風呂に入って、猫と枕を並べて就寝。

 従って現在の僕には生活と主張するようなものは何もない。若い頃は多くの他ジャンルの人と交流したり、映画演劇、旅行と、生活が多様化していたが、画家に転向した45歳以後は一変して、創作と生活が分け難くひとつに結びついてしまった。つまり絵を描くことが、即生活になってしまったのである。ヘッセのように造園や水彩画を趣味とする生活が僕の中からは完全に蒸発してしまって、絵が仕事ではなく趣味に変わってしまった。

 ヘッセにしてもデュシャンにしても、彼らの求めたのは自由である。ところが自由に生きるための目的が、実は芸術至上主義にあったということに気づいた彼等は、そのこと自体が自由の支障の原因になっていることに「アッ」と思ったのである。多くの芸術家は芸術の中だけで自由に生きていればいいという妄想に気づいていない。芸術家は、生活の中で自由に創造することが、芸術であると考えている。つまり芸術至上主義である。(ここから先は少しメンドー臭い話をしますよ)

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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