このとき既に40歳。家族もいるし、年齢を考えても今から修業に出る時間もない。独学でやるしかないと、煮干しラーメンのレシピを入手し、作ってみると何とかおいしいものができた。こうして「永福町大勝軒」(東京都杉並区)のような煮干しの効いた一杯が完成した。
場所は長年住み続ける地元でやると決めていて、野田、松戸、柏エリアの物件を探していた。すると、西初石にある和菓子屋さんの物件が出てきたという。
「自分も昔から通っていた和菓子屋さんで、ここが空いたのは運命的でした。ただ、実家の借金や子どもの学費など大変な時期だったこともあり、開業資金が70万円しかなかったので、和菓子屋さんの店名の入ったテントを付け替える予算もありませんでした」(青木さん)
和菓子屋の店名がデカデカと書かれたテントは残したまま、2016年12月「Kiriya」はオープンした。車屋のあった流山市「桐ヶ谷」の魂をこの店に持ってくるという意味で名付けた。オープンに合わせて買ったのは冷蔵庫とコンロのみ。ゆで麺機も買えず、コンロの上に鍋を置いてゆでることにした。テーブルや壁などはDIYで作り、厨房(ちゅうぼう)も知り合いが中古のものを安く工面してくれた。内装はラーメン店っぽくせず、カフェ風を目指した。
告知も宣伝もせずオープンしたが、地元だったこともあり、仲間の応援でたくさんの人が食べに来てくれた。口コミも瞬く間に広がり、お客がいなくて困ったということは今まで一度もないという。
煮干しのラーメンで始めたが、2年目にはのちに看板メニューになる「kiri_Soba」が完成する。しかし、常連さんはみんな煮干しを注文し、kiri_Sobaはなかなか食べてもらえなかった。
「kiri_Sobaは自信作でしたが、一般のお客さんには分かりづらいラーメンだったかもしれません。お客さんはプロではないので、どこに向けてラーメンを作るかというのが大事だということが分かりましたね。自分が好きな方向性のラーメンを作りながら、お客さんの方もしっかり見ていくことが重要です。徐々にブラッシュアップしながら人気のメニューに仕上げていきました」(青木さん)