泯さんは、40歳のときに、「畑仕事によって自らの身体を作り、その身体で踊る」と決め、山梨にある山村に移り住んだ。
「とにかく人間は毎日自分の身体を動かさなければいけない。運動とは、体の細胞が活性化していくための必要条件です。なのに、仕事から引退した人は、まるで自分の身体から引退したかのように、休んでばかりいる。でも、細胞学者たちは言います。『人間には、いまだに古代に獲物を追って走っていた頃の習慣が残っている。踵に刺激を伝えなければ、人間の身体は精力をなくしていく』と。もちろん、死ぬことは絶対に避けられない人生のイベントです。ただ、僕は死ぬときに、自分の住んでいた身体と一緒に終わりたい。だから、そのための努力は必死でやります。死ぬ直前まで踊っていたい。死ぬ直前まで、全身が動く状態でありたい。夢のような話だけど、不可能ではないと思います」
そう力強く言ってから、ついこの間亡くなったという友人の話をした。
「ある日、美術家の親友が、がんになったんです。静養のために実家に戻ってからも、月見の会に誘ってくれるような男が、子供たちに向かって『今日臨終だから、集まれ』と声をかけた。本人から直接息子に『死んでいく瞬間をビデオに撮れ』と指示したそうです。それで、みんなで死んでいく瞬間を待っていると、友人は、パッと目を開けて、『間違っちゃった』と(笑)。結局次の日に亡くなったんですが、その友人の息子は、自分の父親が死んでいく瞬間をビデオに収めていました」
現代社会では、何かを決断するときに、つい肉体よりも精神が優先されがちだ。犬童監督は、映画を通して伝えたいことに、「現代が効率に支配されることを拒む、つっかえ棒であろうとする田中泯の姿を、一つのヒントとして観客に投げかけたい」と語っている。便利になって、迅速になって、正確になったからといって、人間の暮らしは豊かにはならない。「名付けようのない踊り」は、泯さんの「子供らしさを共存させて生きる」「心がふくれあがるような瞬間を大切にする」という生き方への賛歌だ。