76年の人生をかけて“踊り”を探し続けるダンサー・田中泯さん。その生き方を、世の中の「つっかえ棒」と評したのは犬童一心監督だ。泯さんにとっての名刺のような映画が誕生した。」
「僕が思いを込めてやっている“踊り”というのは、一般の人がイメージしている“踊り”とはだいぶ違います」
同じ踊りはなく、どのジャンルにも属さない泯さんの踊りは<場踊り>と呼ばれている。2002年、「たそがれ清兵衛」でスクリーンデビューしてから、「田中泯さんって、もとはダンサーさんなんですね!」と声をかけられることが増え、そのたびに居心地の悪さを感じていた。
「『ダンサー』なんていう肩書が不要なぐらいに、僕はずっと踊りを探し、追求している。世の中にはいつも、ちょっとした偏見や誤解がつきものですが、今回、僕を扱ってくれた映画ができたことは、とても有り難い自己紹介のツールになったように思います」
泯さんが、“僕を扱ってくれた映画”と表現したのは、「メゾン・ド・ヒミコ」への出演をきっかけに親交を重ねてきた犬童一心監督が、17年8月から19年11月までポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら泯さんが踊る様子を撮影したドキュメンタリー「名付けようのない踊り」のことだ。
「カメラがあることで僕の踊る場が特殊な空間になってしまうことは好きじゃないけれど、犬童さんのクルーは図々しい位置にカメラがあるわけでもなく、踊りを見ている人と変わらない視点でそこにいてくれました」
ことの始まりは、泯さんが、ポルトガルのアートフェスティバルに犬童監督を誘ったことだった。せっかくだからとビデオを回し、その映像を18分程度の短編にまとめた。「これは長編にできるかもしれない」と直感。結果として、撮影は2年と3カ月にわたった。映画には、「頭山」でアカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされた山村浩二さんのアニメーションによって、泯さんの子供時代も描写されている。