なぜそこまでするのか。人権抑圧など国内の諸問題が広く知られることを恐れているからでしょう。共産党しか政権を担えない「独裁国家」の悲しさです。「権力基盤を固めるためには批判的な人たちに圧力をかけるしかない。それが国家の安全だ」。そういう考え方なんです。
監視強化は、五輪憲章の「多様性を認める」「自由で開かれた環境を作る」といった精神に反する行為への批判が五輪前に高まることを恐れている側面もあるでしょう。だからこそ、北京五輪が「五輪憲章の精神がきちんと実現される場になっているか」を人権の側面から見ていくべきです。東京五輪でも人種差別撤廃運動「BLM」に合わせて選手が膝(ひざ)をつく姿勢を取る場面がありました。そんなときに中国はどう対応するのか。また性的マイノリティーの選手への対応など、多様な価値観を認める環境整備ができるのか。問題があれば問うことが大事です。
五輪を通じて、中国が変わっていけるのか。日本ができることもあるはずです。求められるのは「外交ボイコット、日本はどうする」というような姿勢ではなく、曖昧(あいまい)さを排した主体的な働きかけです。例えば五輪後、「中国は何をレガシーとして得られたのか一緒に検証したい」と申し入れてもいい。中国が真摯(しんし)に対応するかは望み薄かもしれません。ただ、国と国でも、お互いに刺激し合い成長していくのがあるべき姿。可能性を信じて「諦めずに働きかけていく」こと。その姿勢が日本に求められていると思います。
(構成/編集部・小長光哲郎)
※AERA 2022年2月7日号