2月1日に89歳で亡くなった、元東京都知事で作家の石原慎太郎氏。歯に衣着せぬ“石原節”は、世間をたびたび騒がせると同時に、なぜか人をひきつけた。元駐チュニジア大使で、外務省から3年間都庁の外交儀礼を司る儀典長として務めた多賀敏行さんの回想をもとに、石原氏の人間味を感じるエピソードを振り返った。
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「外務省は大嫌いだ」
2006年、多賀敏行さんは、外務省から都庁への出向の内示を受けた。東京都の行う都市外交を司る儀典長という立場で石原都政を支えることになった。
出向初日。石原都知事より辞令を受け取る儀式に出席していた。順番を経て石原都知事の目の前に進んだ。そして外務省から来た多賀さんを正面に、「外務省は大嫌いだ」と言い放ったのだ。
呆気にとられたものの、平静を装った。その間、1秒ほどだろうか。石原都知事は、照れくさそうな表情を浮かべてこうつけ加えた。
「でも次官の谷内(正太郎)は、いい奴だ」
まずは高飛車な言動で相手に先制パンチを食らわす。この日から3年間、石原都知事に仕えた多賀さんは、それが石原慎太郎という人間の常套手段であると理解した。
「ただ、根っからの悪人ではないのでフォローで相手への気遣いをすこし滲ませる。相手は石原氏を怖い人物ーと覚悟している。それだけに、石原氏のはにかんだ優しさといった予想外の表情に出くわすと慎太郎のファンになるのでしょうね」
相手を掌握するための”技”を使う反面、豪放磊落とでもいうのか。自分の懷に納めておくべきことをおおぴらに話してしまうことが往々にしてあった。
「事務方は常にはらはらしていました」(多賀さん)
世間を騒がせた石原節は、枚挙にいとまがない。
儀典長である多賀さんが居合わせたのは、訴訟騒動にも発展した「仏語侮辱」発言のさざ波が立つ外交現場であった。
ことの発端は、2004年。首都大学東京の支援組織の設立総会で祝辞を述べた際に、石原都知事が「フランス語は数を勘定できない言語で、国際語としてはふさわしくない」と述べたのだ。
多賀さんが当時の状況をこう説明する。
「例えば仏語では、96は4×20+16として表現します。しかし、忙しい現代にこんなまだるっこしい言い方をしなければならないとは、非論理的な言葉の極みであるとフランス語を貶める発言をしたのです」