タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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最近、SNSに接する時間が減りました。いきなり話しかけてくる知らない人や誰かの独り言に、わざわざ触れなくてもいいのでは?という思いが強くなったからです。街を歩いていて、どこかのうちの茶の間を覗いたら、住人がテレビに向かって悪態をついている。髪を切りに行ったら、先客たちが延々と床屋政談をやっている。いわば、それが全部同じフォントの文字になって世界中の人目に触れるのがネット空間。FB(フェイスブック)やツイッター黎明期(れいめいき)には、それら全てを「自由な言論」「本当の世の中の声」として尊重しなくてはいけないという雰囲気がありました。アラブの春などでも、真の民主主義はネット空間にこそあるという幻想が語られました。でも残念ながらSNSの実態は、誹謗中傷・流言飛語が野放しで、野次馬のいじめで人が亡くなる世界。使っている道具は最先端でも、その中で起きていることは中世と同じです。なんのための近代化だったんだ……。インスタグラムなどで「自分がどう見えるか」に取り憑かれてしまっている人もたくさんいます。昔、誰でも容易に鏡が手に入るようになる前は、自己イメージは今よりも遥かに漠然(ばくぜん)としていたでしょう。水鏡ぐらいしかないのでは、自身の容貌を詳しく知ることはできません。鏡や写真は、他者の目で自分を眺めることを可能にします。今は自身の容貌を画像加工などでコントロールし、衆目を惹きつけて称賛を得ることもできます。常に他者の目で自分の姿を眺(なが)めるようになると、心が休まりません。支配欲と承認欲求の無限ループの苦しみです。
SNSは本当に人を幸せにしているのか、人の心をつなぐのか。自分の顔よりも目の前の景色を、誰かの呟(つぶや)きよりも家族や友人との語らいを大事にする方が、世界への理解が深まる気がします。進歩は道具で手に入るものではなく、頭の中で起きるものでしょう。
小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中
※AERA 2022年2月21日号