そして20歳になる頃には浅草の松竹演芸場などで前座をつとめるようになっていた。

 すると千代若師匠から「そろそろ一本立ちしてはどうか? ちゃんと食べていけるよう腕を磨きなさい」と諭された。

 言葉通りに「もっと芸を磨きなさい」と解釈すればよかったのに、これを「手に職をつけなさい」と勘違い。実家のつてで青森県の理容学校に入学し、1年後に理容師の免許を取得し意気揚々と帰京した。

「当然、師匠からは『バカ野郎ー!!』って大目玉。周囲からもあぜんとされました。でもね、この時身につけたパーマの技術で、僕はショートカットから誰もしていなかったアフロヘアに変え、レイバンのサングラスをかけてイメージチェンジに成功しました。パーマをかけるロッドを買う金がないから、三つ折りにした割り箸で代用したのが懐かしいですよ」

 転んでもタダでは起きないのは浅草芸人の真骨頂。両手でピースサインをしながら「イエーイ。わっかるかなあ、わっかんねぇだろうな」とポーズを決めるネタの原点も逆転の発想から生まれた。

「浅草の木馬亭さんのレギュラーになった時です。お客さんのお目当ては、その頃大人気だった安来節のお姉さんたち。腰を振りながらドジョウすくいをするのがエッチっぽくてね。ところが僕が出ていくと皆さんトイレ休憩。誰もいなくなっちゃう。それをどうやって引き留めるか、を考えた末、お客イジリのギャグができた」

 当初はひんしゅくを買ったものの、次第に話題となり、ジャズのスキャットを取り入れた歌謡漫談で一躍人気芸人に。全国の演芸場から依頼が殺到した。

 そんなある日、出演中の名古屋の大須演芸場に、いきなり2人の前座芸人が弟子入りに来たという。

「ツービートを名乗る前のビートきよしとビートたけしです。なんとなく暗い感じでしたが熱意を感じたので弟子入りを認め、松鶴家二郎・次郎というコンビ名をつけました。でもまったく売れない。で、さらに改名を繰り返し、最後に落ち着いたのが『ツービート』。当初、きよしがツッコミだったのですが、それだときよしの東北なまりでノリが悪くなるので、下町丸出しのたけしと交代させたらドンピシャ!でした」

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映画「トラック野郎」に出演後、渥美清さんから「馬鹿野郎!」