イギリスの学校では議論をして説得しあうことを重視しているという(photo gettyimages)
イギリスの学校では議論をして説得しあうことを重視しているという(photo gettyimages)
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 在宅時間の増加から「本」と過ごす時間が増えた人も少なくないだろう。作家の高橋源一郎さんと英国在住のコラムニストのブレイディみかこさんはいま、どんな本を読み、何を感じているのか。AERA 2022年2月21日号から。

【写真】ブレイディみかこさんと高橋源一郎さん

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ブレイディ:私が源一郎さんにお伺いしたかったのは、『「ことば」に殺される前に』ですね。こんなことをツイッターで書いておられたのかってびっくりして。僭越(せんえつ)ながら、私の『他者の靴を履く』と通じているなと思ったんですよ。最後がアナキスト教育の学校の話で終わりますよね。私も『他者の靴を履く』の最後の章を何にするかって編集者といろいろ話し合って、やっぱり教育しかないんじゃないかってなって、アナキスト教育の話を最後に持ってきたんです。最近のツイッターのもめ事を見ていると、結局そこに戻る。

高橋:ぼくがツイッターを始めたのは2010年ですが、公共というものを具体化するとこういうものになるのかと一瞬思ったんですね。誰でも自分の意見を言う場が保障される、ツイッターという公共空間は、そういうことができるんじゃないかと最初の1年ぐらい、思っていました。でも2年ぐらいやって、これはちょっと無理かなって。まったく無償で、有意義なメッセージを贈与し合う。これは、アナーキズムの原理と重なり合うところがありますよね。

ブレイディ:そうですね。

■吸収だけで放出はなし

高橋:そうやって公共を回していく。言葉の贈与の応酬です。ところが、いつの間にか、ツイッターでは贈与しても怒りや憎しみが返ってくるようになった。あるいは内輪受けですね。その光景を見て、がっかりしたんです。ところで、ツイッターに書いた文章は本にしない予定でした。本にすると有料になり、もともとの贈与とはちがったものになる。でも本にしたっていうことは、諦めたってことなのかもしれません。ツイッターだけじゃない話ですが、社会に流通する言葉で一番遠くまで伝播(でんぱ)するのは、残念だけど相手をやっつける言葉です。でもそれはツイッターが異常なのではなく、社会的言語って、そんな性質を持っているということ。そう思うと寂しい気がします。ですから、そういう意味では夢が破れましたっていう本なんです(笑)。

話は変わりますが、ぼくの息子たちとブレイディさんの息子さんは、学年は一つしか違いません。だから前作もそうだし『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』を読んでも人ごとと思えないんですよ。ぼくは、いわゆるオルタナティブスクールに子どもたちを入れましたが、いろいろ悩みました。日本ではオルタナティブスクールを出ても、オルタナティブじゃない社会に出ていかないといけない。つまり、そこで習った価値観を否定する社会に出ていかなければならない。学校教育が全てを解決してくれるわけではないんですよね。

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