現地入りした一人の藤井達哉(現・朝日自分史編集長)は地震発生時、北海道で取材中だった。東京から東北へ向かう便が運休となる中、新千歳空港から福島に飛び、取材を始めた。
記事では福島県相馬市で、間一髪で津波から逃れた60代男性の、こんな証言を掲載している。
<「津波だ。逃げろ!」
すぐに車に飛び乗った。道端には近所の人たちが20人ぐらい固まっていた。
「早く逃げろ!!」
車窓から叫び、走り続けた。バックミラーに、真っ黒い波が家の残骸とともに塊となり、ものすごい高さで押し寄せるのが映った。後ろに車が5台ほど続いていた。濁流はどんどん近づいてくる。無我夢中で車を飛ばし、高台のバイパスにたどりつくと、後続の車両は3台になっていた。
「おれの後ろはダメだったんだ。おれもあと少し遅れたらダメだった」>
津波の被災現場は高圧電線の鉄塔すらひしゃげて倒れ、何もなくなっていた。翌日には福島第一原発で水素爆発が発生したが、知らぬまま現場で取材を続けた。藤井は当時の取材をこう振り返る。
「ぎりぎりで生き延びた人もいれば、目の前で家族を失った人もいた。話を聞いたすべての人が、ものすごい体験をしていた。多くの人が見ず知らずの記者である私に話をしてくれたのは、誰かに話さないと気持ちの整理がつかなかったせいかもしれません」
(本誌・大崎百紀)
※週刊朝日 2022年2月25日号