シドニー五輪の表彰式で金メダルを手にする高橋尚子
シドニー五輪の表彰式で金メダルを手にする高橋尚子

 創刊100周年。長い間、国内外で起きた出来事を報じてきた「週刊朝日」。2000年代以降にもさまざまな印象的な出来事や衝撃事件が起きた。その記録を当時の記事から振り返る。

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 20世紀最後の年となった2000年、時代の寵児に躍り出たのが、シドニー五輪のマラソンで日本女子陸上界初の金メダルを獲得した高橋尚子だ。

 本誌はレース直前の9月29日号「増田明美が解く、3代表『金メダル』への方程式 五輪女子マラソン」で、ロス五輪代表の増田明美さんによる展望記事を掲載した。

<高橋さんにとっていちばん大きいのは、自信です。(中略)以前の高橋さんには、ランナーとしてのもろさを感じるときがありましたが、今は本当にタフになりました>

 と、高橋の実力に太鼓判を押した増田さん。この記事ではさらに、坂の多い難コースの勝負ポイントを現地入りしていた担当記者が実際に自転車で完走して確かめた。

<三十五キロ付近から丘にある住宅街を走る。アップダウンの連続は、試走した選手の「ゴールに近づくほどタフになる」「まるでジェットコースター」という表現がぴったりだ。記者もバテてきて、上りで何度か自転車を押して歩いた>

 実際のレースでは、高橋は34キロ地点でサングラスを投げ捨ててスパートし、ライバルを突き放して勝利。「Qちゃんスマイル」で国民的な人気者となった。あれから22年。増田さんはこう振り返る。

「日本のお家芸マラソンで、ついに世界の頂点に立った!という大きな感動がありました。高橋さんはスタート前に(歌手の)hitomiの歌を聴いて踊り、レース後は『楽しい42キロでした』と満面の笑みで振り返った。マラソンの『耐える』イメージが『明るく楽しい』ものに変わり、市民ランナーの増加にもつながったと思います。レース前に(監督の)小出義雄さんと高橋さんは『タンポポの綿毛のようにふわふわと42キロの旅に出る』という歌を詠んだ。そのとおりのレースでしたね」

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