就活で「数年で辞める」

 訪れた国は70カ国超。モスクで一日ボーッとしているうちに、その国の人と仲良くなりラマダン明けにご飯を食べにいった。「宗教がないと幸せのルールがない。生きるのが大変じゃないか」。そう問われて返答に困ったが、日本では「会社が宗教」と考え、松下幸之助や稲盛和夫を研究。幸之助の『道をひらく』は林の「聖書」になった。

 そんな林が学生時代に起業するのは自然な流れだ。急増する外国人旅行者を狙い、日本料理店向けに中国語や韓国語のメニューを作るサービスや、柴又、下北沢など観光客にはなじみの薄い場所に案内するサービスを始め、年に1千万円を稼いだ。だが林にとってはアルバイトの延長のようなものだった。

「起業を考えているので数年で辞めます」。忖度をしない林は、就職活動の面接で本音を言った。ほとんどの担当者が眉をひそめるなか、「面白い」と言ってくれたのが伊藤忠である。

スタートアップの成功に「時の利」が大切と書いたが、もう一つ大切なのが「人の利」だ。バックパッカー時代に友人になった北京大学の学生と国際交流のサークルを立ち上げた。そこにやってきたのが有馬幸介。東大の2年先輩で、大学院の情報理工学系研究科に通っていた。

 サークルでは「日本の大企業はなぜ東アジアの優秀な学生を採用しないのか」などのテーマを英語で海外の学生と話し合った。有馬の父親はJTBに勤めており、子供のころ6年間をグアムで過ごした。日本に染まりきっておらず、認知バイアスが低いところは林と共通で、2人は妙にウマがあった。

 有馬が大学院で研究していたのは機械学習。今でいうAIだが、当時はその言葉もまだ人口に膾炙(かいしゃ)しておらず、有馬によれば「IT(情報技術)はイケてるけど、AIはダメ。モテない学問だった」という。

トイレでプログラム

 大学院を修了後、新日鉄住金ソリューションズ(現日鉄ソリューションズ)に入社した。この会社を選んだのはソフトウェア関連では数少ない、自前の研究機関があったからだ。

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