有馬はここでエンジニアとして認められ、大きなプロジェクトを任されるようになっていく。ただ大企業の会計システムを構築するような仕事は「100点を102点にする」のが大切で、ゼロから1を生み出すことは求められない。米国では自分と同じことを学んだエンジニアが起業して、どんどん新しいプロダクトを生み出している。
「このままでいいのか」
有馬がそんな疑問を持ち始めた2014年のある日、林が声をかけてきた。
「一緒にやりませんか」
林にも明確なビジネスのアイデアがあったわけではない。だが、起業することだけは決めていた。何か始めるには優秀なエンジニアが必要だ。林が自分の知り合いの中で一番腕の立つ有馬を真っ先に誘った。
では何を始めるか。2人は週末にプランを持ち寄って、ディスカッションを続けた。やがて林がアイデアを出し有馬がプロトタイプを作るというパターンが生まれる。林は一足早く会社を辞めて起業の準備に専念したが、有馬は大きな仕事を任された直後で、抜けるに抜けられない。仕事の合間にノートPCをおなかに隠してトイレに籠(こも)り、プログラムの設計に励む。自分たちが何をすべきかがだんだん見えてきた。
「資料集めって大変だよな」
新卒から数年間、サラリーマンをやった2人は、その苦労を痛感していた。林は「使えそうだ」と思ったネット記事を片っ端から、メモアプリのエバーノートに放り込み、一番多い時には記事の本数が1万本を超えた。だが結局のところため込むばかりで仕事には使えない。
自分たちと同じように、世界中のオフィスで情報の海に溺れている人がいる。だとすれば的確に情報が収集できるサービスのニーズがあるはずだ。(敬称略)(文/ジャーナリスト・大西康之)
※AERA 2022年2月28日号より抜粋